今日の四時何十分とかに出発する人々に贈るのだということがわかってからやっと針が動き始めて間もなく出来上がった。その前にそこの給仕の少女等にも縫ってもらったのだと見えて、これにも礼を云ってさっさと出て行った。若旦那が、僕は御役に立たないがせめても、といったようなことを云って、そうして「万歳」と云って片手を上げた。それはとにかく、この場合はたった二針縫ってもらうのに少なくも十分はかかったようであった。四時何十分の汽車に間に合ったかどうか、それは知るよしもない。
 日清日露戦争には厳島《いつくしま》神社のしゃもじが流行したように思う。あれは「めしとる」という意味であったそうである。千人針にもついでに五銭白銅を縫付け「しせんを越える」というおまじないにする人もあるという話である。これも後世のために記録しておくべき史実の一つである。いずれにしても愛嬌《あいきょう》があって、そうして何らの害毒を流す恐れのないのみならず、結果においては意外に好果をも結び得る種類の事柄である。これに反してどんなにもっと恐ろしい色々の迷信が今の世に行われて、そのためにどんなに恐ろしい害毒を流しているか、そっちの方が実に
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