に針や糸を渡し受取り、布片を延べたり、○印を一つ選定したりするにもかれこれ此れと同じくらいはかかる。それであとからあとから縫い手が押しかけてくれればともかく、そうでないとすると一分に一針平均はよほど六《むつ》ヶしいであろう。しかし仮りに一分に一つとしても、千針に対しては十六時と四十分を要する。八時間労働としても二日では少し足りない。なかなか大変な仕事である。閑人の道楽ならばいいが、仕事のあるお神さんやおばさん達にはあまり楽な仕事ではなさそうである。
上野広小路の喫茶店へはいった。年若い芸者を二人連れた若旦那の一組がコーヒーをのんでいる。その前に女学生が二人立っている。二人の芸者はそれぞれ一つずつ千人針の布片を手にもったままで女学生と何かしら問答している。千人針が縁となってここに二つのかなり遠くかけはなれた若い女の世界が接近して、互いにいくらか物珍しい興味をもって交渉しているのである。若旦那も時々|助太刀《すけだち》に出かける。それが大変に丁寧な言葉を遣《つか》っているのに対して女学生の言葉が思いの外にぞんざいである。問答ばかりでなかなか容易には肝心の針の方に手が行かない。対話の末に、今日の四時何十分とかに出発する人々に贈るのだということがわかってからやっと針が動き始めて間もなく出来上がった。その前にそこの給仕の少女等にも縫ってもらったのだと見えて、これにも礼を云ってさっさと出て行った。若旦那が、僕は御役に立たないがせめても、といったようなことを云って、そうして「万歳」と云って片手を上げた。それはとにかく、この場合はたった二針縫ってもらうのに少なくも十分はかかったようであった。四時何十分の汽車に間に合ったかどうか、それは知るよしもない。
日清日露戦争には厳島《いつくしま》神社のしゃもじが流行したように思う。あれは「めしとる」という意味であったそうである。千人針にもついでに五銭白銅を縫付け「しせんを越える」というおまじないにする人もあるという話である。これも後世のために記録しておくべき史実の一つである。いずれにしても愛嬌《あいきょう》があって、そうして何らの害毒を流す恐れのないのみならず、結果においては意外に好果をも結び得る種類の事柄である。これに反してどんなにもっと恐ろしい色々の迷信が今の世に行われて、そのためにどんなに恐ろしい害毒を流しているか、そっちの方が実に
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