たら、急に悪くなったのだそうで、書斎の窓の下の高い書架の上に土を入れた皿が今でも置いてあります。隣の寝室へかつぎ込んだが、寝台の上へ横になることができなくて肱掛椅子《ひじかけいす》にもたれたままだったそうです。椅子《いす》の横の台の上には薬びんと急須《きゅうす》と茶わんとが当時のままに置いてあります。書斎の机でも寝室でも意外に質素なもので驚きました。二階の室々《へやべや》にはいろいろな遺物など並べてありますが、私にはゲーテの実験に使った物理器械や標本などがおもしろうございました。シラーの家はいっそう質素と言うよりはむしろ貧しいくらいでした。ゲーテの家には制服を着けた立派な番人が数人いましたが、シラーのほうには猫背《ねこぜ》の女がただ一人番していました。裏庭の向こう側の窓はもうよその家で、職人が何か細工をしていたようです。シラー町の突き当たりの角《かど》は大きな当世ふうのカッフェーで、ガラス窓の中から二十世紀の男女が、通りかかった毛色の変わった私を珍しそうに見物していました。町も辻《つじ》も落ち葉が散り敷いて、古い煉瓦《れんが》の壁には血の色をした蔓《つた》がからみ、あたたかい日光は宮城
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