の番兵の兜《かぶと》に光っておりました。
 私はもう十日ばかりでベルリンを引き上げ、ゲッチンゲンへ参ります。
[#地から3字上げ](明治四十三年十月、東京朝日新聞)

     ゲッチンゲンから

 去年の降誕祭《ワイナハト》は旅でしました。ウィーンで夜おそく町をうろついて、タンネンバウムを売っているのを見た時にちょうど門松と同じだと思ったのと、ヴェネディヒで二十五日の晩おびただしい人が狭い暗い町をただぞろぞろ歩くのを見てさびしい思いをしたきりでしたが、ことしはここの田舎《いなか》で田舎らしい純粋の降誕祭《ワイナハト》を経験しました。二十二日の晩宿の主婦から、天主教《カトリック》の幼稚園《キンダアガルテン》で降誕祭式《ワイナハトフェスト》があるから行かぬかと誘われたので行って見ました。主婦と娘と、家事の見習いかたがた手伝いに来ているというスチューバー嬢と四人で行きました。狭い室《へや》におもちゃのような小さい低い机と椅子《いす》を並べて、それにいっぱい子供がうようよしている。みんな貧しそうな子ばかりで、中には風邪《かぜ》を引いたのがだいぶあって、かわいそうに絶えず咳《せき》をして騒々しい。白の頭巾《ずきん》に黒服で丸く肥《ふと》った|尼たち《シュエスター》が二人そばに立って監督している。室の後方の扉《とびら》があいている外側には、このへんの貧民がいっぱい立って騒々しく話している。机に並べられた子供の中には延び上がって後ろの群集を珍しそうにながめるのもあります。するとシュエスターが立って行って、頭をパタパタとたたいて向こうむきにすわらせる。そのうちに一人の子が、群集の中から阿母《おふくろ》の顔を見つけて、急に恋しくなって泣き出した。シュエスターが抱いて母親の所へつれて行ってやっとすかして席へつかしたが、やはり渋面をしては後ろを向いている。おおぜいの子供の中にはあくびをしているのもある。眠くてコクリコクリするのもあります。堂のすみには大きなタンネンバウムが立ててあってシュエスターが蝋燭《ろうそく》に火をつけ始めるとみんなそっちを見る。樹《バウム》の下の小さなお堂の中に人形の基督孩児《クリストキンド》が寝ている。やがて背中に紗《しゃ》の翼のはえた、頭に金の冠を着た子供の天使が二人出て来て基督孩児《クリストキンド》の両側に立つ。天使の一人はたいへん咳《せき》が出て苦しそうで背中の翼がふるえているが、それでも我慢して一生懸命にすましている。そして大きなかわいい目をして私の顔を珍しそうに見ていました。そのうち老僧《ファーター》が出て来て挨拶《あいさつ》を始めました。あまり立派でない外套《がいとう》を着たままで、めがねの上から子供とお客とを等分に見ながら、鼻へ掛かった声でだいぶ長く述べ立てました。ワイナハトの起原などから話しましたが、子供の咳《せき》は絶え間なしで騒々しく、咳の出ない子はだいぶ退屈しているようでした。きょう子供の贈物《ゲシェンク》にする人形の着物をほとんど一手で縫うたシュエスター何某が、病気で欠席されたのは遺憾でありますというような挨拶《あいさつ》もありました。この挨拶が済むと、監督の尼さんが音頭をとって、子供の唱歌が始まり、それから正面の壇へ大きい子供がかわるがわる出て暗唱をすると、尼さんが心配して下から小さい声でいっしょに暗唱するのでした。それからワイナハトマンが袋をかついで出て来ておどけて笑わせて、それで式が済みお客さんはみんな別室へはいって、ここへ陳列した子供への贈物を一覧するわけでした。なるほどこれは子供が喜ぶことだろうと思いました。式が済むと、室《へや》の外にいた貧民が一時に押し込んで施与を受けようとするので、なかなかの大混雑で、やっとの事で出て来ました。
 降誕祭前一週間ほど、市役所前の広場に歳《とし》の市《いち》が立って、安物のおもちゃや駄菓子《だがし》などの露店が並びましたが、いつ行って見ても不景気でお客さんはあまり無いようでした。売り手のじいさんやばあさんも長い煙管《きせる》を吹かしたり編み物をしているのでありました。ひやかしていると、「ドクトルの旦那《だんな》さん、降誕祭贈物《ワイナハトゲシェンク》はいかがです」と呼びかけるのもありました。町の店屋へ買い物に行くと、お前さんの故国でもワイナハトを祝うかなぞときくのがだいぶありました。
 降誕祭《ワイナハト》の初めの日には、主婦《かみ》さんが、タンネンバウムを飾るから手伝ってくれぬかと言うので、お手伝いしました。たいそう古くなったお菓子を黄色いリボンで縛ったのが一箱あって、これもつるすのだといって、樅《もみ》の木へほかの飾り物といっしょにつるしました。これは十四年前におばあさんが買ったお菓子だということでした。同じ宿にいる女優のスタルク嬢も、前だれなどかけ
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