々と書いたもののいっこうつまらなくなりました。
[#地から3字上げ](明治四十四年二月、東京朝日新聞)
パリから(一)
私の宿はオペラの近くでちょっと引っ込んだ裏町にあります。二三町出るとブールバール・デジタリアンの大通りです。たいてい毎朝ここへ出て角《かど》で新聞を買います。初めてノートルダームに行った日はここから乗合馬車に乗ってまずバスチールの辻《つじ》まで行きました。音に聞いた囚獄は跡方もありません。七月の碑という高い記念碑がそびえているばかりです。頂上には自由の神様が引きちぎった鎖と松明《たいまつ》を持って立っています。恐ろしい風の強い日で空にはちぎれた雲が飛んでいるので、仰いで見ているとこの神像が空を駆けるように見えました。辻の広場には塵《ちり》や紙切れが渦巻《うずま》いていました。
広場に向かって Au canon という料理屋があって、軒の上に大砲の看板が載せてあります。ここからまた馬車の二階に乗ってオテルドヴィーユまで行きました。通りの片側には八百屋物《やおやもの》を載せた小車が並んでいます。売り子は多くばあさんで黒い頬冠《ほおかぶ》り黒い肩掛けをしています。市庁の前で馬車を降りてノートルダームまで渦巻《うずまき》の風の中を泳いで行きました。どこでも名高いお寺といえばみんな一ぺん煤《すす》でいぶしていぶし上げてそれからざっとささらで洗い流したような感じがしますが、このお寺もそうです。ほかの名高い伽藍《がらん》にくらべて別に立派なとも思いませんが両側に相対してそびえた鐘楼がちょっと変わった感じを与えます。入り口をはいるとここに限らず一時まっ暗になる。足もとから不意に鋭い声でプール・レ・ポーヴルと呼びかける。まっ白い大きな頭巾《ずきん》を着た尼さんが袋をさし出している。袋の底から銀貨が光っていました。はいって来る信徒らは皆入り口の壁や柱にある手水鉢《ちょうずばち》に指の先をちょっと入れて、額へ持って行って胸へおろしてそれから左の乳から右の乳へ十字をかく。堂のわきのマドンナやクリストのお像にはお蝋燭《ろうそく》がともって二三人ずつその前にひざまずいて祈っている。蝋燭を売るばあさんがじろじろと私を見る。堂のまん中へ立って高い色ガラスの窓から照らす日光を仰いで見るのはやはりよい心持ちがします。午後でしたからお勤めはありません。しかし時々オルガ
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