れになったような風に漠然と感ぜられるのである。このように、読者を欺すという悪意は少しもなくて、しかも結果において読者を欺すのが新聞のテクニックなのである。
 七月十四日の朝東京駅発姫路行に乗って被害の様子を見に行った。
 三島辺まで来ても一向どこにも強震などあったらしい様子は見えない。静岡が丸潰れになるほどなら三島あたりでもこれほど無事なはずがなさそうに思われた。
 三島から青年団員が大勢乗込んだ。ショベルや鍬《くわ》を提《さ》げた人も交じっている。静岡の復旧工事の応援に出かけるらしい。三等が満員になったので団員の一部は二等客車へどやどや雪崩《なだ》れ込んだ。この直接行動のおかげで非常時気分がはじめて少しばかり感ぜられた。こうした場合の群集心理の色々の相が観察されて面白かった。例えば大勢の中にきっと一人くらいは「豪傑」がいて、わざと傍若無人に振舞って仲間や傍観者を笑わせたりはらはらさせるものである。
 富士駅附近へ来ると極めて稀に棟瓦《むながわら》の一、二枚くらいこぼれ落ちているのが見えた。興津《おきつ》まで来ても大体その程度らしい。なんだかひどく欺されているような気がした。
 清水で
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