。いきのよいさしみの光沢はどこか陶器の光沢と相通ずるものがある。逆に言えば陶器の肌《はだ》の感触には生きた肉の感じに似たものがある。ある意味において陶器の翫賞《がんしょう》はエロチシズムの一変形であるのかもしれない。
 青磁の徳利にすすきと桔梗《ききょう》でも生けると実にさびしい秋の感覚がにじんだ。あまりにさびしすぎて困るかもしれない。
 青磁の香炉に赤楽《あからく》の香合のモンタージュもちょっと美しいものだと思う。秋の空を背景とした柿《かき》もみじを見るような感じがする。
 博物館などのように青磁は青磁、楽は楽と分類的に陳列してあるのも結構ではあるが、しかしそういう器物の効果を充分に発揮させるようなモンタージュを見せてくれる展覧会などもたまにはあっていいかもしれない。もっとも茶会の記事などを見ると実際自分の考えているようなモンタージュ展を実行しているのであるが、それは限られた少数の人だけのためのものでだれでもいつでも見られる種類のものではない。
 西川一草亭《にしかわいっそうてい》の生花の展覧会などはある意味で花やくだものと容器とのモンタージュの展覧会であるが、あれをもっと拡張したよ
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