の面影、腰より下は血に染《そ》みて、九十五、六程も立ならび、声のあやぎれもなくおはりよ/\と泣きぬ、云々」とある、これが昔おろした子供の亡魂の幻像であったというのである。実に簡潔で深刻に生ま生ましい記載である。蓮の葉はおそらく胎盤を指すものであろうか。こういう例は到底枚挙する暇のないことであろう。
 錯綜した事象の渾沌の中から主要なもの本質的なものを一目で見出す力のないものには、こうした描写は出来ないであろう。これはしかし、俳諧にも科学にも、その他すべての人間の仕事という仕事に必要なことかもしれないのである。

 西鶴についてはなお色々述べたいこともあるが、ここではただ表題に関係のあると思われる事項の略述に止めた。甚だ杜撰《ずさん》なディレッタントの囈語《たわごと》のようなものであるが、一科学者の立場から見た元禄の文豪の一つの側面観として、多少の参考ないしはお笑い草ともならば大幸である。
[#地から1字上げ](昭和十年一月、改造社『日本文学講座』)



底本:「寺田寅彦全集 第五巻」岩波書店
   1997(平成9)年4月4日発行
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2005年
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