たものを読んでいてそういう場合に出逢うとやはりちょっとそんな気がするようである。しかし考えてみると、例えば子供の時分に同じお伽噺《とぎばなし》を何遍でも聞かされたおかげで年取って後までも覚えておられるが、桃太郎でも猿蟹合戦でも、たった一度聞いて面白いと思ったきりだったらおそらくとうの昔に綺麗に忘れてしまったに相違ない。してみると本当に読んでもらいたいと思うことはやはり何遍か同じことを繰返して色々の場所へ適当に織込むのが著者の立場からはむしろ当然かもしれない。前に読んだことのある読者はまたかと思うとしても一度読んだだけでは多分それっきり忘れてしまったであろうことを、またかと思うことによって始めて心に止めるようになるかもしれない。のみならず、著者の側では同じことを書いた第何回目かのを始めて読んでくれる人もやはりあるのであろう。こう考えて来ると自分などは街頭に露店をはって買手のかかるのを待っている露店商人とどこかしらかなり似たところがあるようにも思われてくるのである。
同じようなことを繰返すのでも、中途半端の繰返しは鼻についてくるが、そこを通り越して徹底的に繰返していると、また一種別の面白
前へ
次へ
全11ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング