が、物理学を専攻する人間でも、座談や随筆の中ではいくらか自由な用語の選択を寛容してもらいたいと思うのである。
 この抗議のはがきの差出人は某病院外科医員花輪盛としてあった。この姓名は臨時にこしらえたものらしい。
 この三月にはまた次のような端書《はがき》が来た。
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「始めて貴下の随筆『柿の種』を見初めまして今32[#「32」は縦中横]頁の鳥や魚の眼の処へ来ました、何でもない事です。試みに御自分の両眼の間に新聞紙を拡げて前に突き出して左右の眼で外界を御覧になると御疑問が解決せられるのです。御試みありたし、(下略)」
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 魚や鳥のように人間の両眼の視界がそれぞれに身体の左右の側の前後に拡がっていたとしたら吾人《ごじん》の空間観がどんなものになるかちょっと想像することが六ヶしいという意味のことを書いたのに対して、こういう実験をすすめられたのである。しかし人間の両眼が耳の近所についていない限り、いくらこういう実験をしてみたところで自分の疑問は解けそうもない。
 この端書をよこした人も医者だそうである。以上の外にもこれまで自分の書いたものについて色々
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