たものを読んでいてそういう場合に出逢うとやはりちょっとそんな気がするようである。しかし考えてみると、例えば子供の時分に同じお伽噺《とぎばなし》を何遍でも聞かされたおかげで年取って後までも覚えておられるが、桃太郎でも猿蟹合戦でも、たった一度聞いて面白いと思ったきりだったらおそらくとうの昔に綺麗に忘れてしまったに相違ない。してみると本当に読んでもらいたいと思うことはやはり何遍か同じことを繰返して色々の場所へ適当に織込むのが著者の立場からはむしろ当然かもしれない。前に読んだことのある読者はまたかと思うとしても一度読んだだけでは多分それっきり忘れてしまったであろうことを、またかと思うことによって始めて心に止めるようになるかもしれない。のみならず、著者の側では同じことを書いた第何回目かのを始めて読んでくれる人もやはりあるのであろう。こう考えて来ると自分などは街頭に露店をはって買手のかかるのを待っている露店商人とどこかしらかなり似たところがあるようにも思われてくるのである。
 同じようなことを繰返すのでも、中途半端の繰返しは鼻についてくるが、そこを通り越して徹底的に繰返していると、また一種別の面白味が出て来るようである。ジグスとマギーの漫画のようなものもそうであり、お伽噺や忠臣蔵や水戸黄門の講談のようなものもその類である。云わば米の飯や煙草のようなものになってしまうのかもしれない。そうなってしまえば、もうジャーナリズム的批評の圏外に出てしまって土に根を下ろしたことになるであろうが、今のジャーナリズムの世界ではそういうことはちょっと困難なように見える。
 以上は自分が今日までに感じた随筆難のありのままの記録で、云わば甚だ他愛のない「筆禍事件」の報告と愚痴のいたずら書に過ぎないが、こんなことまで書くようになるのもやはり随筆難の一つであるかもしれないのである。[#地から1字上げ](昭和十年六月『経済往来』)



底本:「寺田寅彦全集 第四巻」岩波書店
   1997(平成9)年3月5日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店
   1985(昭和60)年
初出:「経済往来」
   1935(昭和10)年6月1日
※初出時の署名は「吉村冬彦」です。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「常山《くさぎ》の花《はな》
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