ね》や伊豆《いず》の連山の上にかかった雲を一つ一つ指摘する事ができた。箱根の峠を越した後再び丹沢山《たんざわやま》大山《おおやま》の影響で吹き上がる風はねずみ色の厚みのある雲をかもしてそれが旗のように斜めになびいていた。南のほうには相模《さがみ》半島から房総《ぼうそう》半島の山々の影響もそれと認められるように思った。
 高層の風が空中に描き出した関東の地形図を裏から見上げるのは不思議な見物《みもの》であった。その雲の国に徂徠《そらい》する天人の生活を夢想しながら、なおはるかな南の地平線をながめた時に私の目は予想しなかったある物にぶつかった。
 それははるかなはるかな太平洋の上におおっている積雲の堤であった。典型的なもくもくと盛り上がったまるい頭を並べてすきまもなく並び立っていた。都会の上に広がる濁った空気を透して見るのでそれが妙な赤茶けたあたたかい色をしていた。それはもうどうしても冬の雲ではなくて、春から夏の空を飾るべきものであった。
 庭の日かげはまだ霜柱に閉じられて、隣の栗《くり》の木のこずえには灰色の寒い風が揺れているのに南の沖のかなたからはもう桃色の春の雲がこっそり頭を出しての
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