を捜しに出かけるのだと仮定してみる。帽子も羽織も質に入れたくらいなら電車賃がないという事も可能である。あの男の顔つき目つきはこの仮説を支持するに充分なもののように思われた。そうだとすれば実にかわいそうな父子《おやこ》である。円タクでも呼んで乗せて送ってやってもしかるべきであったという気がした。
 しかし、また考えてみると、近ごろ新聞などでよく、電車切符を人からねだっては他の人に売りつける商売があるという記事を見ることがある。この男は別に切符をくれともなんとも言いはしなかったが、しかし、あの咄嗟《とっさ》の場合に、自分が、もう少し血のめぐりの早い人間であったら、何も考えないで即座に電車切符をやらないではおかないであったろうと思われるほどに実に気の毒な思いをそそる何物かがあの父子の身辺につきまとっていたではないか。
 しかし、また考えてみると、切符をくれと言わずに切符をもらうという巧妙な手段を考えてそれを遂行するとすれば、だれが見てもいかにも切符をやりたくなるというだけの何物かを用意しなければならぬのは明らかなことである。それには寒空に無帽の着流し、足駄ばき、あごの不精ひげに背の子等は必要で有効な道具立てでなければならない。
 そう考えて来ると、第一この男が丸《まる》の内《うち》仲通《なかどお》りを歩いていて、しかもそこで亀井戸《かめいど》への道を聞くということが少し解しにくいことに思われて来る。こういう男がこの界隈《かいわい》のビルディング街の住民であろうとは思われない。いずれ芝《しば》か麻布《あざぶ》へんから来たものとすれば、たとえば日比谷《ひびや》へんで多数の人のいる所で道を聞いてもよさそうなものである。それがこのさびしい夜の仲通りを、しかも東から西へ向かって歩きながら、たまたま出会った自分に亀井戸《かめいど》への道を聞くのは少しおかしいようにも思われる。
 そうは言うものの、やはり初めの仮説に基づいてもう一ぺん考え直してみると、異常な興奮に駆られ家を飛び出した男が、夜風に吹かれて少し気が静まると同時に、自分の身すぼらしい風体《ふうてい》に気がついておのずから人目を避けるような心持ちになり、また一方では内心の苦悩の圧迫に追われて自然に暗い静かな所を求めるような心持ちから、平生通ったこともないこの区域に入り込んだと仮定する。見慣れぬビルディング街の夜の催眠術にかかっ
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