うにならないとも限らない。
のどかな春日の縁側に猫《ねこ》が二匹並んですわっている。庭の木々のこずえには小鳥の影がちらちらする。二匹の猫があちらこちらに首を曲げたり耳を動かしたりするのが、まるで申し合わせたようにほとんど同時に同一の挙動をする。ちょうど時計じかけで拍子を合わせた二つの器械のように見える。それが、どうかした拍子で、ふいと二つの猫《ねこ》の個性だか自由意志だかが現われて二つがちがった挙動をするようになる。これは二つの猫の位置のわずかな差のために生ずる些細《ささい》な音や光の刺激の差でも説明されるかもしれないが、しかしまた猫の「自由意志」にも支配されると考えられよう。その自由意志が秋毫《しゅうごう》も宇宙線に影響されないとは保証できないような気がする。
以上は言わばたわいもない春宵《しゅんしょう》の空想に過ぎないのであるが、しかし、ともかくもわれわれが金城鉄壁と頼みにしている頭蓋骨《ずがいこつ》を日常不断に貫通する弾丸があって、しかもほんの近ごろまではだれ一人夢にもそれを知らずにいたというだけは確かな事実なのである。しかもその弾丸の本性はまだだれにもわからないのである。
科学はやはり不思議を殺すものでなくて、不思議を生み出すものである。
[#地から3字上げ](昭和八年六月、中央公論)
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
※誤植が疑われる以下の箇所を「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店、1961(昭和36)年4月7日第1刷発行をもとに直しました。
○この宇宙線のごときもの→この宇宙線のごときも
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年7月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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