》が滝《たき》で聞いたものとほぼ同種のものであったらしい。噴煙の達した高さは目撃者の仰角の記憶と山への距離とから判断してやはり約十キロメートル程度であったものと推算される。おもしろいことには、噴出の始まったころは火山の頂をおおっていた雲がまもなく消散して山頂がはっきり見えて来たそうである。偶然の一致かもしれないが爆発の影響とも考えられないことはない。今後注意すべき現象の一つであろう。
グリーンホテルではこの日の爆音は八月四日のに比べて比較にならぬほど弱くて気のつかなかった人も多かったそうである。
火山の爆音の異常伝播《いじょうでんぱ》については大森《おおもり》博士の調査以来|藤原《ふじわら》博士の理論的研究をはじめとして内外学者の詳しい研究がいろいろあるが、しかし、こんなに火山に近い小区域で、こんなに音の強度に異同のあるのはむしろ意外に思われた。ここにも未来の学者に残された問題がありそうに思われる。
この日|峰《みね》の茶屋《ちゃや》近くで採集した降灰の標本というのを植物学者のK氏に見せてもらった。霧の中を降って来たそうで、みんなぐしょぐしょにぬれていた。そのせいか、八月四日の降灰のような特異な海綿状の灰の被覆物は見られなかった。あるいは時によって降灰の構造がちがうのかもしれないと思われた。
翌十八日午後峰の茶屋からグリーンホテルへおりる専用道路を歩いていたらきわめてかすかな灰が降って来た。降るのは見えないが時々目の中にはいって刺激するので気がついた。子供の服の白い襟《えり》にかすかな灰色の斑点《はんてん》を示すくらいのもので心核の石粒などは見えなかった。
ひと口に降灰とは言っても降る時と場所とでこんなにいろいろの形態の変化を示すのである。軽井沢《かるいざわ》一帯を一メートル以上の厚さにおおっているあの豌豆大《えんどうだい》の軽石の粒も普通の記録ではやはり降灰の一種と呼ばれるであろう。
毎回の爆発でも単にその全エネルギーに差等があるばかりでなく、その爆発の型にもかなりいろいろな差別があるらしい。しかしそれが新聞に限らず世人の言葉ではみんなただの「爆発」になってしまう。言葉というものは全く調法なものであるがまた一方から考えると実にたよりないものである。「人殺し」「心中」などでも同様である。
しかし、火山の爆発だけは、今にもう少し火山に関する研究が進んだら爆発の型と等級の分類ができて、きょうのはA型第三級とかきのうのはB型第五級とかいう記載ができるようになる見込みがある。
S型三六号の心中やP型二四七号の人殺しが新聞で報ぜられる時代も来ないとは限らないが、その時代における「文学」がどんなものになるであろうかを想像することは困難である。
少なくも現代の雑誌の「創作欄」を飾っているようなあたまの粗雑さを成立条件とする種類の文学はなくなるかもしれないという気がする。
[#地から3字上げ](昭和十年十一月、文学)
底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年11月20日第1刷発行
1963(昭和38)年6月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年9月5日第65刷発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 第十巻」岩波書店
1961(昭和36)年7月7日第1刷発行
※「駅員は急におごそかな表情をして」の箇所は、底本では「駅員は急におごそなか表情をして」でしたが、親本を参照して直しました。
入力:(株)モモ
校正:多羅尾伴内
2003年11月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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