めたりおどしたりした。自分は子供の時に蜂を怒らせて耳たぶを刺され、さんしち[#「さんしち」に傍点]の葉をもんですりつけた事を想い出したりした。あの時分はアンモニア水を塗るというような事は誰も知らなかったのである。
 とにかくこんなところに蜂の巣があってはあぶないから、落してしまおうと思ったが、蜂の居ない時の方が安全だと思ってその日はそのままにしておいた。
 それから四、五日はまるで忘れていたが、ある朝子供等の学校へ行った留守に庭へ下りた何かのついでに、思い出して覗《のぞ》いてみると、蜂は前日と同じように、躯《からだ》を逆様《さかさま》に巣の下側に取り付いて仕事をしていた。二十くらいもあろうかと思う六角の蜂窩《ほうか》の一つの管に継ぎ足しをしている最中であった。六稜柱形《ろくりょうちゅうけい》の壁の端を顎《あご》でくわえて、ぐるぐる廻って行くと、壁は二ミリメートルくらい長く延びて行った。その新たに延びた部分だけが際立《きわだ》って生々しく見え、上の方の煤けた色とは著しくちがっているのであった。
 一廻り壁が継ぎ足されたと思うと、蜂はさらにしっかりとからだの構えをなおして、そろそろと自分の頭を今造った穴の中へ挿し入れて行った。いかにも用心深く徐々《そろそろ》と身体を曲げて頭の見えなくなるまで挿し入れた、と思うと間もなく引き出した。穴の大きさを確かめて始めて安心したといったように見えた。そしてすぐに隣の管に取りかかった。
 私はこの歳になるまで、蜂のこのような挙動を詳しく見た事がなかったので、強い好奇心に駆られて見ているうちに、この小さな昆虫の巧妙な仕事を無残に破壊しようという気にはどうしてもなれなくなってしまった。
 それからは時々、庭へ下りる度にわざわざ覗いてみたが、蜂の居ない時はむしろ稀であった。見る度に六稜柱の壁はだんだんに延びて行くようであった。
 ある時は顎の間に灰色の泡立った物質をいっぱい溜めている事が眼についた。そして壁を延ばす代りに穴の中へ頭を挿しこんで内部の仕事をやっている事もあった。しかしそれがどういう目的で何をしているのだか自分には分らなかった。
 そのうちに私は何かの仕事にまぎれて、しばらく蜂の事は忘れていた。たぶん半月ほど経ってからと思うが、ある日ふと想い出して覗いてみると蜂は見えなかった。のみならず巣の工事は前に見た時と比べてちっとも進んでい
前へ 次へ
全16ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング