八つは居るらしい。長い棒の付いたのはまだ外にも居た。中にはちょうど一本足の案山子《かかし》に似たのもある。あるいは二本の長い棒を横たえた武士のようなのも居る。皆大概はじっとしているが、午頃《ひるごろ》には時々活動しているのを見受ける。彼等にも一定の労働時間や食事の時間があるのかと思ったりした。ある時大きなのがちょうど紅葉の葉を食っているところを見付けたが、頭をさしのべて高いところの葉を引き曲げ蚕《かいこ》が桑を食うと同じようにして片はしから貪り食うていた。近辺の葉はもうだいぶ喰い荒されているのであった。こんなところを見ているうちに簑虫に対する自分の心持はだんだんに変って来た。そして虫の生活が次第に人間に近く見えて来ると同時に、色々の詩的な幻覚《イリュージョン》は片端から消えて行った。
 M君が来た時に、この話をしたら、M君は笑って、「だいぶ暇だと見えるね」と云った。しかし、M君自身もやはりだいぶ暇だと見えて、この間自分で蟻の巣を底まで掘り返してみた経験を話して聞かせた。

      四 新星

 毎年夏になってそろそろ夕方の風が恋しい頃になると、物置にしまってある竹製の涼み台が中庭へ持ち出される。これが持ち出される日は、私の単調な一年中の生活に一つの著しい区切りを付ける重要な日になっている。もう明日あたりは涼み台を出そうじゃないかという事が誰かの口から云い出される。しかしその翌日が雨であったり、そうでなくても色々の事に紛れたりしてつい一日二日と延びる。そのうちにいよいよ今日はという事になって朝のうちに物置の屋根裏から台が取り下ろされ、一年中の塵埃や黴《かび》が濡れ雑巾で丁寧に拭い清められ、それから裏庭の日蔭で乾かされる。そしていよいよ夕方になってから中庭に持ち出されると、それで始めて私の家に本当に夏が来たという心持になるのである。
 涼み台の外に折り畳み椅子が三つ同時に並べられて一同が中庭へ集まる。まだ明るい宵のうちには縄飛びをする者もあれば、写生帖を出しておばあさんの後姿をかいているのもある。明朝咲く朝顔の莟《つぼみ》を数えて報告するのもある。幼い女児二人は縁側へいろいろなお花を並べて花屋さんごっこをする事もある。暗くなると花火をしたり、お伽噺をしたり、おばあさんに「お国の話」をさせたりしている。幼い子等には、まだ見たことのない父母の郷国が、お伽噺の中の妖精国の
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