た得てもそれを発表しないで死んでしまった者も沢山あるかもしれない。そんな人は脇目にはこの簑虫と変ったところはなかったかもしれない。
 こんな空想に耽《ふけ》りながら見ていると、簑の上に隙間なく並んでいる葉柄の切片が、なんだかこの隠れた小哲学者の書棚に背皮を並べた書物ででもあるような気がした。
 この簑について思い出すのは、私が子供の時分に、母か誰かに教わったままに、簑虫の裸にしたのを細かに刻んだ色々の布片と一緒にマッチの空箱の中に入れて、五色の簑を作らせようとした事である。この試験の結果は熱心な期待を裏切って、虫は死んでしまった。それにもかかわらず、美しい五彩の簑を纏うた虫の心象《イメージ》だけは今も頭の中に呼び出す事が出来る。ところが、つい近頃私の子供等がやはり祖母にこの話を聞いて私の失敗した経験を繰返していたようである。いったいこの話は事実であろうか。事実であるとしても稀有《けう》な事であるか、それとも普通な事であろうか。私の母自身にも実際自分で経験したのではないかもしれないが、つい今までそれを確かめてはみなかった。また別に今すぐ確かめようとも思っていない。そういう種類の事が容易《たやす》くたしかめられようとは思わないからである。
 こんな事からつぎつぎに空想をたどりながら、私は人間のあらゆる知識に関するいわゆるオーソリティというものの価値に考え及んだ。そして考えれば考えるほど、今まで安心だとばかり思っていた色々の知識の根柢が、脚元からぐらついて来るような気がした。しかしその時考えた事はここに書くにはあまりに複雑でそしてデリケートな、そして纏りのつきかねるものであった。
 このような事を考えた翌日の同じ時刻に私は例のように二階の机の前に坐った。そして昨日の簑虫はと思っておおよそこの辺かと思う見当を捜してみたが見付からない。そのうちにずっと高いところの大きな枝に何か動くものがあると思ってよく見ると、それが昨日のあの把柄のついた簑虫であった。ただ意外な事には、昨日生死も分らないように静まり返っていたあの小哲学者とは思われないように活動しているのであった。簑の上端から黒く光った頭が出ていた。それが波を打って動くにつれて紡錘体は一刻みずつ枝の下側に沿うて下りて行った。時々休んで何か捜すような様子をするかと思うとまた急いで下りて行く、とうとう枝の二叉《ふたまた》に別れたと
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