初旅
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)高知から室戸岬《むろとざき》まで
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(例)[#地から1字上げ](昭和九年八月『旅人伝説』)
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幼い時に両親に連れられてした長短色々の旅は別として、自分で本当の意味での初旅をしたのは中学時代の後半、しかも日清戦争前であったと思うから、たぶん明治二十六年の冬の休暇で、それも押詰まった年の暮であったと思う。自分よりは一つ年上の甥のRと二人で高知から室戸岬《むろとざき》まで往復四、五日の遠足をした。その頃はもちろん自動車はおろか乗合馬車もなく、また沿岸汽船の交通もなかった。旅行の目的は、もしも運がよかったら鯨を捕る光景が見られるというのと、もう一つは、自分の先祖のうちに一人室戸岬の東寺《ひがしでら》の住職になった人があるのでその墓参りをして来るようにという父からの命をうけていたことである。
中学校にはまだ洋服の制服など無い頃であった。中の字を星形にした徽章のついた制帽を冠って、紺のめくらじまの袴をはき脚絆《きゃはん》に草鞋《わらじ》がけ、それに久留米絣《くるめがすり》の綿入羽織という出で立ちであったと思う。そうして毛糸で編んだ恐ろしく大きな長い羽織の紐をつけていたと想像される。それがその頃の田舎の中学生のハイカラでシックでモダーンな服装であったからである。
第一日は物部川《ものべがわ》を渡って野市《のいち》村の従姉の家で泊まって、次の晩は加領郷《かりょうご》泊り、そうして三晩目に室津《むろつ》の町に辿《たど》り付いたように思う。翌日は東寺に先祖の一海和尚の墓に参って、室戸岬の荒涼で雄大な風景を眺めたり、昔この港の人柱になって切腹した義人の碑を読んだりしたが、残念ながら鯨は滞在中遂に一匹もとれなくて、ただ珍しい恰好をして五色に彩色された鯨漁船を手帳にスケッチしたりしただけであった。父は維新前いわゆる御鯨方《おくじらかた》の支配の下に行われた捕鯨の壮観と、大漁後のバッカスの饗宴とを度々目撃し体験していたので、出発前にその話を飽きるほど聞かされていた。それで非常な期待と憧憬とをもって出かけたのであったが、運悪く漁がなくて浜は淋しいほど静かであった。しかし今になって考えてみるとそのおかげでかえって自分の頭の中には父の言葉で描かれた封建時代
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