初冬の日記から
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)銀杏《いちょう》の
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)多分|銘仙《めいせん》と
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](昭和九年一月『中央公論』)
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一年に二度ずつ自分の関係している某研究所の研究成績発表講演会といったようなものが開かれる。これが近年の自分の単調な生活の途上に横たわるちょっとした小山の峠のようなものになっている。学生時代には学期試験とか学年試験とかいうものがやはりそうした峠になっていたが、学校を出ればもうそうしたものはないかと思うと、それどころか、もっともっとけわしい山坂が不規則に意想外に行手に現われて来た。これは誰でも同じく経験することであろう。しかしずっと年を取った後に、再びこうした規則正しく繰返される「試験」の峠を越そうとは予期しなかったが、そのおかげで若い日の学生時代の幻影のようなものを呼び返し、そうしてもう一度若返ったような錯覚を起こさせる機縁に際会するのである。
それはとにかく、学生時代に試験が無事にすんだあとの数日間はいつでも特別に空の色が青く日光が澄み切って輝き草木の色彩が飽和して見えた、それと同じように、研究所の講演会のすんだあとの数日は東京市の地と空とが妙にいつもより美しく見えるようである。ことに今年は実際に小春の好晴がつづき、その上にこの界隈の銀杏《いちょう》の黄葉が丁度その最大限度の輝きをもって輝く時期に際会したために、その銀杏の黄金色に対比された青空の色が一層美しく見えたのかもしれない。
そういうある日の快晴無風の午後の青空の影響を受けたものか、近頃かつて経験したことのないほど自由な解放された心持になって、あてもなく日本橋の附近をぶらぶら歩いているうちに、ふと昨日人から聞いた明治座の喜劇の話を想い出してちょっと行って覗《のぞ》いてみる気になった。まだ少し時間は早かったが日本橋通りをぶらぶらするのも劇場の中をぶらぶらするのも大した相違はないと思って浜町《はまちょう》行のバスを待受けた。何台目かに来た浜町行に乗込んだら幸いに車内は三、四人くらいしか乗客はなくてこの頃のこの辺のバスには珍しくのんびりしていた。腰をかけて向い側を見ると二十歳くらいの娘がいる。どこかで見たよ
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