は大学二年生であったが、その少し前に郷里から妻を呼びよせて西片町に家をもっていたのである。
「今日」とあるのは七月二十三日だろうと思われるのは消印が二十四日のイ便であるのに「只今(九時)帰申候」とあるからである。夏目先生が帰ってからすぐに筆をとってこの端書をかき、そうして、おそらくすぐに令妹律子さんに渡してポストに入れさせたのではないかとも想像される。それが最後の集便時刻を過ぎていたので消印が翌日の日附になったものであろう。
それはとにかく「四時」「九時」と時刻を克明に書いている所に何となく自分の頭にある子規という人が出ているような気がする。そうかと思うと日附は書いてないのも何となく面白い。
配達局の消印も明瞭で駒込局のロ便になっている。一体にその頃の消印ははっきりしていたが、近頃のは捺《お》し方がぞんざいで不明なのが多いような気がする。こんな些末なところにも現代の慌だしさが出ているかもしれないと思われる。
もう一つの子規自筆の記念品は、子規の家から中村|不折《ふせつ》の家に行く道筋を自分に教えるために描いてくれた地図である。子規常用の唐紙に朱罫《しゅけい》を劃した二十四字十八行
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング