ど腐朽に瀕した肉体を抱えてあれだけの戦闘と事業を遂行した巨人のヴァイタルフォースの竈《かまど》から迸《ほとばし》る火花の一片二片として、こういう些細な事柄もいくらかの意味があるのではないかと思われるのである。
四
子規の家から不折《ふせつ》氏の家へ行く道筋を画いて教えてくれたものが唯一の形見として私の手許に残っている。それは子規氏の特有の原稿用紙(唐紙《とうし》? に朱罫《しゅけい》、十八行二十四字)いっぱいに画いた附近の略地図である。右上に斜に鉄道線路が二本引いてある。鶯横町《うぐいすよこちょう》は右下半に曲線を描いて子規庵は長さ一センチくらいのいびつな長方形でしるされてある。図の左半は比較的込み入っていて、不折邸附近の行きづまり横町が克明に描かれ「不折」「浅井」両家の位置が記入されている。面白いことは横町の入口の両脇の角に「ユヤ」「床ヤ」と書いてある。それから不折邸の横に「上根岸四十番」と記し、その右に大きな華表《とりい》を画いて「三島神社」としてある。ずっと下の方に門を書いて、「正門」としてあるのは前田邸の正門であろう。
脚腰の立たない横に寝たきりの子規
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