子規の追憶
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)子規《しき》の追憶について

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)ある時|颱風《たいふう》の話から

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](昭和三年九月『日本及日本人』)
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 子規《しき》の追憶については数年前『ホトトギス』にローマ字文を掲載してもらったことがある。今度これを書くのに参考したいと思って捜したが、その頃の雑誌が手許《てもと》に見当らない。とにかく同じような事を二度は書きたくないから、前に書かなかったと思うことだけを記すことにする。

         一

 自然科学に関する話題にも子規はかなりの興味を有《も》って居たように思われる。当時自分は訪問してそういう方面のどんな話をしていたかは思い出せないが、ただ一つ覚えていることがある。ある時|颱風《たいふう》の話からそのエネルギーの莫大なこと、それをどうにかして人間に有益なように利用するようにしたいというようなことを話したら、大変にそれを面白がった。暴風の害を避けようというのでなくて積極的にそれを利用するというのは愉快だと云って喜んでいた。
 写生文を鼓吹《こすい》した子規、「草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生していると造化の秘密がだんだん分って来るような気がする」と云った子規が自然科学に多少興味を有つという事は当然であったかも知れない。
『仰臥漫録《ぎょうがまんろく》』に「顕微鏡にて見たる澱粉《でんぷん》の形状」の図を貼込んであるのもそういう意味から見て面白い。
 とにかく、文学者と称する階級の中で、科学的な事柄に興味を有ち得る人と有ち得ない人とを区別する事が出来るとしたら子規はその前者に属する方であったらしい。この事は子規という人とその作品を研究する際に考慮に加えてもいいことではないかと思う。

         二

 学芸の純粋な進展に対して社会的の拘束が与える障害について不満の意を洩らすのを聞かされた事も一度や二度ではなかったように記憶する。例えば美術や音楽の方面においていわゆる官学派の民間派に対する圧迫といったようなことについて、具体的の実例をあげていわゆる官僚的元老の横暴を語るのであったが、それがただ冷静な客観的の噂話でなくて、かなり興
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