なる人の需《もと》めによって如何なる人によって制作されたかということは、色々な問題に聯関して研究さるべき興味ある題目となるであろうと思われる。
 それにつけて想い出されるのは、仏教や耶蘇教《やそきょう》の宗教画の中にも、この絵巻物の中に現われているような不思議な嗜虐性要素のしばしば現われることである。十字架の基督《キリスト》や矢を受けた聖セバスチアンもそうであるし、また地獄変相図やそれに似た耶蘇教の地獄図、聖アントニオの誘惑の絵の中にも同じようなものが往々見出される。こういう一致は偶然のことではなくて深い奥の方に隠れた人間の本性に根を引いていることだろうと思われるのである。
 この間映画で見たが、インドの聖地では、自分の肉体を責めさいなむことを一生の唯一の仕事にしている人間が沢山いるようである。どうも不思議なことだと思われたが、よく考えてみるとこの謎が少し分りかけたような気もするのである。[#地から1字上げ](昭和九年七月『セルパン』)



底本:「寺田寅彦全集 第八巻」岩波書店
   1997(平成9)年7月7日発行
初出:「セルパン」
   1934(昭和9)年7月1日
※初出時
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