も書いたことがあったが、この山中常盤双紙は、そういう見方の適切なことを実証するのに好都合な一例と見ることも出来る。
絵巻物の色々な場面の排列、モンタージュまた一つの場面の推移をはこぶコマ数の按配《あんばい》、テンポの緩急といったようなものに対する画家の計画には、ちょうど映画監督、編輯者のそれと同様な頭脳のはたらきを必要とすることがわかる。
映画としてのこの絵巻のストーリーは、猿蟹合戦《さるかにかっせん》より忠臣蔵に至るあらゆる仇打《あだう》ち物語に典型的な型式を具えている。はじめは仇打ち事件の素因への道行であり、次に第一のクライマックスの殺し場がある。その次に復讐への径路があって第二の頂点仇打ちの場になる。そうして結局の大団円なりエピローグが来る。そういう形式がかなりはっきりしているのが目につく。
映画のタイトルに相当する詞書《ことばがき》の長短の分布もいろいろ変化があって面白く、この点も研究に値いする。
二つのクライマックスの虐殺の場がかなり分析的にコマ数を多くして描写されている。展覧会場では、この二つの頂点の処の肝心な数コマが白紙で蔽《おお》われて「カット」されていたことか
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