だと思う。随筆は何でも本当のことを書けばよいのであるが、小説は嘘を書いてそうしてさも本当らしく読ませなければならないからである。尤《もっと》も、本当に本当のことを云うのも実はそう易《やさ》しくはないと思われるが、それでも本当に本当らしい嘘を云うことの六かしさに比べれば何でもないと思われる。実際、嘘を云って、そうして辻褄《つじつま》の合わなくなることを完全に無くするにはほとんど超人的な智恵の持主であることが必要と思われるからである。
 真実を記述するといっても、とにかく主観的の真実を書きさえすれば少なくも一つの随筆にはなる。客観的にはどんな間違ったことを書き連ねていても、その人がそういうことを信じているという事実が読者には面白い場合があり得るからである。しかし本来はやはり客観的の真実の何かしら多少でも目新しい一つの相を提供しなければ随筆という読物としての存在理由は稀薄になる、そうだとすると随筆なら誰でも書けるとも限らないかもしれない。
 前記の小説家もこんなことぐらいはもちろん承知の上でそれとは少し別の意味でそう云ったには相違ないが、しかし不用意に読み流した読者の中には著者の意味とちがった風に解釈して、それだから概括的に小説は高級なもので随筆は低級なものであるという風に呑み込んでいる人が案外多いということに近頃気がついて、そういう事実に興味を感じている。こんな風に、文字の表面の意味とよほどちがった意味を読者に暗示するような記述法が新聞記事の中などには沢山に見出されるようであるが、これらも巧妙な修辞法の一例と思われる。
 とにかく科学者には随筆は書けるが小説は容易に書けそうもない。
 昔ある国での話であるが、天文の学生が怠けて星の観測簿を偽造して先生に差出したら忽《たちま》ち見破られてひどくお眼玉を頂戴した。実際一晩の観測簿を尤もらしく偽造するための労力は十晩百晩の観測の労力よりも大きいものだろうと想像されるのである。[#地から1字上げ](昭和九年八月『文学』)



底本:「寺田寅彦全集 第四巻」岩波書店
   1997(平成9)年3月5日発行
入力:Nana ohbe
校正:浅原庸子
2005年6月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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