稀に「善行デー」を設けるのと同じような事で、それも一応は誠にいい事だと思われる。
 しかし一日の善行で百日の悪行を償ってまだその上に釣銭をとるような心持が万一でもあってはかえって困る。一体そういう心配は全然ないものだろうか。一般には云われないまでもそういう了簡《りょうけん》の人もまるでないとは云われないようである。
 そういう事のないように、その特別な一日を起点としてその後引続いて善い事をする習慣をつけるという目的で、少なくも今度の「節約日」は宣伝され奨励されたものであろうと思われる。そうでなければ宣伝ビラの印刷費用だけでもかえって濫費になる勘定である。この度の節約日の効果は日が経ってみなければ分るまいが、私はこういう「日」の必要自身が既に結果の失敗を保証するように思われて仕方がない。
 それはとにかくこの種の色々の「善行デー」はどうもつい近頃西洋から輸入されたものらしく私には思われる。よく調べてみなければどうだか分らないが、何となくアメリカあたりからでも来たらしいような感じのするものである。少なくともそういう匂いがある。
 昔の事はよくは知らないが、ただ自分の狭い経験から考えても、以
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