大きさが新しい穴と同じであったら、それはかえってもとの穴がちがった鋏によって穿《うが》たれたものだという証拠になる。
 私はそういう変形した鋏穴の「標本」を電気局で蒐集して、何かの機会に車掌達の参考に見せるのもいいかもしれないと思う。何なら虫眼鏡で一遍ずつ覗《のぞ》かせるのもいいかもしれない。ついでにもう一歩を進めるならば、電車の切符について起り得る錯誤のあらゆる場合を調査しておくのもいいかと思う。不正な動機から起るものの外に、どれだけ色々の場合があるかを研究し列挙して車掌達の参考に教えておくのも悪くない。事柄が人の「顔」にかかる事であるから、このくらいの手を足すのも悪くはあるまい。
 車掌も乗客も全く事柄を物質的に考える事が出来れば簡単であるが、そこに人間としての感情がはいるからどうも事が六《むつ》かしくなる。
 物質だけを取扱う官衙《かんが》とちがって、単なる物質でない市民乗客といったようなものを相手にする電気局は、乗客の感情まで考えなければならず、そして局の仕事が市民に及ぼす精神的効果までも問題にしなければならないから難儀であろう。
 しかしこれは止《や》むを得ない事である。事柄 
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