らの要求に応じなければならないと考える人は、むしろ多数であろう。そう考える以上は、場合によっては自分の大事な研究時間をずいぶん思い切って割いても世間の要求に応じるために忙しい想いをし、従ってそれだけの心のエネルギーを余計に消磨させなければならない。
 これは止むを得ない事かもしれない。そして私はそういう学者の犠牲的精神に尊敬を払う事を忘れないつもりである。
 しかし学者とこれに対する世間とから全く飛び離れた第三者の位置に立って見ると、これは世間というものが本当に学者を尊重し学術の進歩を期図する方法ではないような気がする。場合によってはむしろ学者を濫用し科学の進歩を妨げるような結果になる事がないとは限らないように思う。これはよほど慎重に考えてみなければならないかなり大事な問題である。
 学者の中にも科学の応用に興味を有ち、その方面に特別の天賦を具《そな》えている人がある。また一方では純理的の興味から原理や事実の探究にのみ耽《ふけ》る人もある。中には両方面を併せて豊富に有《も》っている多能な人もないではない。
 ボーアのごときはむしろこの第二のタイプの学者であるように思われる。従って世間か
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