な舞をまうのであるが、これもちょうど管弦楽と全く同じようにやはり一種の雰囲気を醸出する「運動の音楽」であるように思われた。外の各種の舞踊に表われるような動的エネルギーの表出はなくて、すべてが静的な線と形の律動であるように思われた。
二番目の「地久《ちきゅう》」というのは、やはり四人で舞うのだが、この舞の舞人の着けている仮面の顔がよほど妙なものである。ちょっと恵比寿《えびす》に似たようなところもあるが、鼻が烏天狗《からすてんぐ》の嘴《くちばし》のように尖《とが》って突出している。柿の熟したような色をしたその顔が、さもさも喜びに堪えないといったように、心の笑みを絞り出した表情をしている。これが生きている人の本当の顔ならば、おそらく一分間あるいは三十秒間もそのままに持続する事は困難だろうと思われる表情をいつまでも持続して舞うのである。これは舞楽に限らない事であろうが、これだけの事でもそこに一種の空気が出てくる。もっとも不思議な事に、仮面の顔というものは、永く見ていると、それが色々に動き変わるような錯覚を生じるものだが、この場合でもやはりそれがある。音楽と運動の律動につれて、この笑顔にも一種
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