しまた仕遂げる事を、二時間三時間ずつかければ会得し遂行されよう。
 科学教育の根本は知識を授けるよりもむしろそういう科学魂の鼓吹にあると思われる。しかしこれを鼓吹するには何よりも教育者自身が科学者である事が必要である。先生自身が自然探究に対する熱愛をもっていれば、それは自然に生徒に伝染しないはずはない。実例の力はあらゆる言詞より強いからである。
 すべての小学校、中学校の先生が皆立派な科学者でなければならないという事を望むのは無理である。実行不可能である。しかしそんな必要は少しもない。ただ先生自身が本当に自然研究に対する熱があって、そうして誤魔化さない正直な態度で、生徒と共に根気よく自然と取込み合うという気があれば十分である。先生の知識は必ずしもそれほど広い必要はない。いわゆる頭の良い必要はない。
 雑誌などで時々小学校の理科の教案と称するものを見ることがある。中によく綿密に考えたものだと思うて感心する。しかしまた一方で何となく不自然で人工的なものだという感じもする。これでは児童の頭が窮屈な型に押し詰められて、自由な働きが妨げられはしないかという気がする。こういう教案の作成に費やす時間
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