の立札が立っていた。三越支店の食堂は満員であった。
 月寒《つきさっぷ》の牧場へ行ったら、羊がみんな此方《こっち》を向いて珍しそうにまじまじと人の顔を見た。羊は朝から晩まで草を食うことより外に用がないように見える。草はいくら食ってもとても食い切れそうもないほど青々と繁茂しているのである。食うことだけの世界では羊は幸福な存在である。
 六日の朝札幌を立った。倶知安で買った弁当の副食物が、物理的には色々ちがった物質を使ってあるがどれにも味というものが欠けていた。この線路は一体に弁当がよくないので有名だという話である。この辺から汽車の音がサッポロクッチャンというように聞え出して、いつまでもそう聞えるのであった。
 帰路の駒ヶ岳には虹が山腹にかかって焼土を五彩にいろどっていた。函館の連絡船待合所に憐れな妙齢の狂女が居て、はじめはボーイに白葡萄酒を命じたりしていたが、だんだんに暴れ出して窓枠の盆栽の蘭の葉を引っぱったりして附添いの親爺《おやじ》を困らせた。それからしゃがれた声で早口に罵《ののし》りはじめ、同室の婦人を指《ゆびさ》しては激烈に挑戦した。何を云っているかは聞取れない。巡査と駅員に守られて一旦乗船したが出船間際に連れ下ろされて行った。ついさっき暴れていたとは別人のようにすごすごと下りて行った後姿が淋しかった。
 札幌から大勢の警官に見送られて二十人余り背広服の壮漢が同乗したのが、船でもやはり一緒になった。途中の駅でもまた函館の波止場でも到る処で見送りが盛んであった。「頑張れよ」「御大事に」「しっかり頼むよ」口々にこうした激励の言葉を投げた。船と埠頭《ふとう》の間に渡した色テープの橋の両側で勇ましい軍歌が起った、人々の顔がみんな酔ったように赤く見えた。誰も彼も意志の強そうな顔ばかりである。世の中にこわいものもなければ心配なことも何もないような人ばかりである。これらの勇士達はこれからどこの国のどこの道の果てまで行くのであろうか。おそらくどこへ行っても、行く先々に勇敢な彼等のための天地が開けて行きそうな気がする。しかし自分はと云うとこの広い世界の片隅に住み古した小さな雀の巣のような我家へ帰って行くより外はないのである。小雨の降る薄暮の街に灯がともり始め、白い水面を一群のかもめが巴《ともえ》を描いて飛び交わしている。船は大きなカーヴを描いて出て行くので色さまざまの灯をちりば
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