なっているのが目についた。液体力学の教えるところではこういう崖の角《かど》は風力が無限大になって圧力のうんと下がろうとする所である。液体力学を持ち出すまでもなく、こういう所へ家を建てるのは考えものである。しかしあるいは家のほうが先に建っていたので切り通しのほうがあとにできたかもしれない。そうだとすると電車の会社はこの家の持ち主に明白な損害を直接に与えたものだという事が科学的に立証されるわけである。これによく似た場合は物質的のみならず精神的の各方面にも至るところにあるが損害をかけた人も受けた人も全然その場合の因果関係に心づかない事が多いように思われる。そのおかげでわれわれは枕《まくら》を高くして眠っていられる。そして言論や行動の自由が許されている。春秋《しゅんじゅう》の筆法が今は行なわれないのであろう。そうでなければこんな事もうっかりは言われない。
世田が谷近くで将校が二人乗った。大尉のほうが少佐に対して無雑作な言語使いでしきりに話しかけていた。少佐は多く黙っていた。その少佐の胸のボタンが一つはとれて一つはとれかかっているのが始終私の気にかかった。
同乗の小学生を注意して見ると、もち
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