ったり書物を読んだりして得た知識もやはり離れ離れになりがちなものである。ただ自分が何かの問題にまともにぶつかって、そのほうの必要からこれらの知識を通り抜ける時に、すべての空虚な知識が体験の糸に貫ぬかれて始めて生きて連結して来る。これと同じようなものだと思う。
 農科の実科の学生が二三人乗っていた。みんな大きな包みのようなものを携えている。休日でもないのにどこへ行くのだろうと思って気をつけていた。すると途中からもう一人同じ帽章をつけたのが乗り込んで、いきなり入り口に近く腰掛けていた一人の肩をたたき「オイ、どうした」と声をかけた。その言葉の響きのある機微な特徴で、私はこの学生が固有の日本人でない事を知った。気をつけてみると、つい私の隣にかけていた連れの一人の読んでいる新聞が漢字ばかりのものであった。容貌《ようぼう》から見るとどうもシナではなくて朝鮮から来た人たちらしく思われた。
 玉川《たまがわ》の川原では工兵が架橋演習をやっていた。あまりきらきらする河原には私の捜すような画題はなかったので、川とこれに並行した丘との間の畑地を当てもなく東へ歩いて行った。広い広い桃畑があるが、木はもうみんな
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