起伏するいろいろの畑地を画布の中へ取り入れた。
帰りに汽車の窓から見た景色は行きとは見違えるほどいっそう美しかった。すべてのものが夕日を浴びて輝いている中にも、分けて谷の西向きの斜面の土の色が名状のできない美しいものに見えた。線路に沿うたとある森影から青い洋服を着て、ミレーの種まく男の着ているような帽子をかぶった若者が、一匹の飴色《あめいろ》の小牛を追うて出て来た。牛の毛色が燃えるように光って見えた。それはどうしてもこの世のものではなくてだれかの名画の中の世界が眼前に生きて動いているとしか思われなかった。
ほとんど感傷的になって見とれている景色の中には、こんなに日が暮れかかってもまだ休まず働いている農夫の家族が幾組となくいた。赤子をおぶって、それをゆさぶるような足取りをして、麦の芽をふんでいる母親たちの姿が哀れに見えた。こうして日の暮れるまで働いておいて朝はもう二時ごろから起きて大根の車のあと押しをして市場へ出るのであろう。
市に近づくに従って空気の濁って来るのが目にも鼻にも感じられた。風のない市の上空には鉛色の煙が物すごくたなびいていた。
もしも事情が許すなら、私はこの広い平坦《へいたん》な高台の森影の一つに小さな小家を建てて、一週のうちのある一日をそこに過ごしたいと思ったりした。これまでいろいろのいわゆる勝地に建っている別荘などを見ても、自分の気持ちにしっくりはまるようなものはこれと言って頭にとどまっていない。海岸は心騒がしく、山の中は物恐ろしい。立派な大廈高楼《たいかこうろう》はどうも気楽そうに思われない。頼まれてもそういう所に住む気にはなれそうもない。しかしこの平板な野の森陰の小屋に日当たりのいい縁側なりヴェランダがあってそこに一年のうちの選ばれた数日を過ごすのはそんなに悪くはなさそうに思われた。
ついそんな田園詩の幻影に襲われたほどにきょうの夕日は美しいものであった。
長い間|宅《うち》にばかりくすぶっていて、たまたまこのよい時節に外の風に吹かれると気持ちはいいようなものの、あまりに美しい自然とそこにも付きまとう世の中の刺激が病余の神経には少しききすぎるようでもある。もうそろそろ寒くはなるし、写生行もしばらく中止していよいよ静物でもやり始めなければなるまいと思っている。
[#地から3字上げ](大正十一年一月、中央公論)
底本:「寺田寅彦随筆集 第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1947(昭和22)年2月5日第1刷発行
1963(昭和38)年10月16日第28刷改版発行
1997(平成9)年12月15日第81刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年6月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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