公園の中よりは反対の並み木道を行ったほうが私の好きな画題は多いらしく思われた。しかしせっかくここまで来て、名高いこの公園を一見しないのも、あまりに世間というものに申し訳がないと思って大きな鳥居をくぐってはいって行った。
いつのまにか宮の裏へ抜けると、かなり広い草原に高くそびえた松林があって、そこにさっきの女学生が隊を立てて集まっていた。遠くで見ると草花が咲いているようで美しかった。
腹がへったので旗亭《きてい》の一つにはいって昼飯を食った。時候はずれでそして休日でもないせいか他にお客は一人もなかった。わざわざ一人前の食膳《しょくぜん》をこしらえさせるのが気の毒なくらいであったが、しかし静かで落ち着いてたいへんに気持ちがよかった。小さな座敷の窓には柿《かき》の葉の黄ばんだのが蝋石《ろうせき》のような光沢を見せ、庭には赤いダーリアが燃えていた。一つとして絵にならないものはないように見えた。
飯を食いながら女中の話を聞くと、せんだってなんとかいう博士がこの公園を見に来て、これはたいへんにいい所だからこの形勝を保存しなければいけないという事になり、さらに裏手の丘までも公園の地域を拡張する事になった。「そうなると私どもはここを立ちのかなければなりません」という。非常に結構な事だと思った。近年急に襲うて来た「改造」のあらしのために、わが国の人の心に自然なあらゆるものが根こぎにされて、そのかわりにペンキ塗りの思想や蝋細工《ろうざいく》のイズムが、新開地の雑貨店や小料理屋のように雑然と無格好《ぶかっこう》に打ち建てられている最中に、それほどとも思われぬ天然の風景がほうぼうで保存せられる事になるのは、せめてもの事である。なろう事なら精神的の方面でもどこかの山や森に若干の形勝を保存してもらいたい。こんな事を考えながら一わんの鯉《こい》こくをすすってしまった。
「絵をおかきになるなら、向こうの原っぱへおいでになるといい所がありますよ」と教えられたままにそのほうへ行ってみる。近ごろの新しい画学生の間に重宝がられるセザンヌ式の切り通し道の赤土の崖《がけ》もあれば、そのさきにはまた旧派向きの牛飼い小屋もあった。いわゆる原っぱへ出ると、南を向いた丘の斜面の草原には秋草もあれば桜の紅葉もあったが、どうもちょうどぐあいのいい所をここだと思い切りにくいので、とうとうその原っぱを通り越して往還路へ
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