いであろうし、そのような興味を感じるような年配になると肝心の研究能力が衰退しているということになりそうである。
年をとったら歯が抜けて堅いものが食えなくなるので、それでちょうどよいように消化器のほうも年を取っているのかもしれない。そう考えるとあまり完全な義歯を造るのも考えものであるかもしれない。そうだとすると、がたがたの穴のあいた入れ歯で事を足しておくのも、かえって造化の妙用に逆らわないゆえんであるかもしれないのである。下手《へた》な片手落ちの若返り法などを試みて造化に反抗するとどこかに思わぬ無理ができて、ぽきりと生命の屋台骨が折れるようなことがありはしないか。どうもそんな気がするのである。
十 うじの効用
虫の中でも人間に評判のよくないものの随一はうじである。「うじ虫めら」というのは最高度の軽侮を意味するエピセットである。これは彼らが腐肉や糞堆《ふんたい》をその定住の楽土としているからであろう。形態的にははちの子やまた蚕ともそれほどひどくちがって特別に先験的に憎むべく賤《いや》しむべき素質を具備しているわけではないのである。それどころか彼らが人間から軽侮される生活そのものが実は人間にとって意外な祝福をもたらすゆえんになるのである。
鳥やねずみや猫《ねこ》の死骸《しがい》が道ばたや縁の下にころがっているとまたたく間にうじが繁殖して腐肉の最後の一片まできれいにしゃぶり尽くして白骨と羽毛のみを残す。このような「市井の清潔係」としてのうじの功労は古くから知られていた。
戦場で負傷した傷に手当をする余裕がなくて打っちゃらかしておくと化膿《かのう》してそれにうじが繁殖する。そのうじがきれいに膿《うみ》をなめ尽くして傷が癒《い》える。そういう場合のあることは昔からも知られていたであろうが、それが欧州大戦以後特に外科医のほうで注意され問題にされ研究されて、今日では一つの新療法として特殊な外科的結核症や真珠工病《オステオミエリチス》などというものの治療に使う人が出て来た。こうなると今度はそれに使うためのうじを飼育繁殖させる必要が起こって来るのでその方法が研究される事になる。現に昨一九三四年のナツーアウィッセンシャフテン第三十一号に、その飼育法に関する記事が掲載されていたくらいである。
うじがきたないのではなくて人間や自然の作ったきたないものを浄化するためにうじがその全力を尽くすのである。尊重はしても軽侮すべきなんらの理由もない道理である。
うじが成虫になってはえと改名すると急に性《たち》が悪くなるように見える。昔は五月蠅《ごがつばえ》と書いてうるさいと読み昼寝の顔をせせるいたずらものないしは臭いものへの道しるべと考えられていた。張ったばかりの天井に糞《ふん》の砂子を散らしたり、馬の眼瞼《まぶた》を舐《な》めただらして盲目にするやっかいものとも見られていた。近代になってこれが各種の伝染病菌の運搬者|播布者《はんぷしゃ》としてその悪名を宣伝されるようになり、その結果がいわゆる「はえ取りデー」の出現を見るに至ったわけである。著名の学者の筆になる「はえを憎むの辞」が現代的科学的修辞に飾られてしばしばジャーナリズムをにぎわした。
しかしはえを取り尽くすことはほとんど不可能に近いばかりでなく、これを絶滅すると同時にうじもこの世界から姿を消す、するとそこらの物陰にいろいろの蛋白質《たんぱくしつ》が腐敗していろいろの黴菌《ばいきん》を繁殖させその黴菌は回り回ってやはりどこかで人間に仇《あだ》をするかもしれない。
自然界の平衡状態《イクイリブリアム》は試験管内の化学的平衡のような簡単なものではない。ただ一種の小動物だけでもその影響の及ぶところは測り知られぬ無辺の幅員をもっているであろう。その害の一端のみを見て直ちにその物の無用を論ずるのはあまりに浅はかな量見であるかもしれない。
はえが黴菌をまき散らす、そうしてわれわれは知らずに年じゅう少しずつそれらの黴菌を吸い込み飲み込んでいるために、自然にそれらに対する抵抗力をわれわれのからだじゅうに養成しているのかもしれない。そのおかげで、何かの機会にはえ以外の媒介によって多量の黴菌を取り込んだときでもそれに堪えられるだけの資格が備わっているのかもしれない。換言すればはえはわれわれの五体をワクチン製造所として奉職する技師技手の亜類であるかもしれないのである。
これはもちろん空想である。しかしもしはえを絶滅すると言うのなら、その前に自分のこの空想の誤謬《ごびゅう》を実証的に確かめた上にしてもらいたいと思うのである。
あえてはえに限らず動植鉱物に限らず、人間の社会に存するあらゆる思想風俗習慣についてもやはり同じようなことが言われはしないか。
たとえば野獣も盗賊もない国で安心して野天や明け放しの家で寝ると風邪《かぜ》をひいて腹をこわすかもしれない。○を押えると△があばれだす。天然の設計による平衡を乱す前にはよほどよく考えてかからないと危険なものである。
十一 毛ぎらい
子供の時から毛虫や芋虫がきらいであった。畑で零余子《むかご》を採っていると突然大きな芋虫が目について頭から爪先《つまさき》までしびれ上がったといったような幼時の経験の印象が前後関係とは切り離されてはっきり残っているくらいである。
芋虫などは人間に対して直接にはなんらの危害を与えるものでもなし、考えようではなかなかかわいいまた美しい小動物であるのに、どうしてこれが、この虫に対しては比較にならぬほど大きくて強い人間にこうした畏怖《いふ》に似た感情を吹き込むかがどうしてもわからない。
何かしら人間の進化の道程をさかのぼった遠い祖先の時代の「記憶」のようなものがこの理由不明の畏怖|嫌忌《けんき》と結びついているのではないかという疑いが起こし得られる。猿《さる》や鳥などが、その食料とするいろいろの昆虫《こんちゅう》の種類によって著しい好ききらいがあって、その見分けをある程度までは視覚によってつけるらしいということが知られている。それでたとえばわれらの祖先のある時代に芋虫や毛虫を食ってひどい目に会ったという経験が蓄積しそれが遺伝した結果ではないかという気もするが、そうした経験の記憶が遺伝しうるものかどうか自分は知らない。ただそんなことでも考えなければちょっと他に説明の可能性が考えられないではないかと思われる、それほどにこの嫌忌の起原が自分には神秘的に思われるのである。
蛙《かえる》をきらいこわがる人はかなりたくさんある。それから蜘蛛《くも》や蟹《かに》をきらう人も知人のうちにある。昔からの言い伝えでは胞衣《えな》を埋めたその上の地面をいちばん最初に通った動物がきらいになるということになっている。なるほど上にあげた小動物はいずれも地面の上を爬行《はこう》する機会をもっているから、こういう俗説も起こりやすいわけであろうが、この説明は科学的には今のところ全然問題にならない。所を異にした胞衣《えな》とそのもとの主との間につながる感応の糸といったようなものは現在の科学の領域内に求め得られるはずはないからである。
ことによると、この「嫌忌《けんき》の遺伝」は、正当の意味での遺伝として生殖細胞のクロモソームを通して子孫に伝わるのでなくして、むしろ「教育の効果」として伝わるのかもしれない。われわれのまだ物心のつかないような幼時に、母親とか子守《こも》りとかといっしょにいた時に、偶然それらの動物を目撃してそれを意識した、その同じ瞬間にその保護者なる母なり子守りなりが、ひどく恐怖の表情を示したとすると、そのときの劇動が子供を驚かせおびえさせ、その恐怖の強烈な印象経験がその動物の視像と連想的に固く結びついてしまった、と考えると一応はもっともらしく聞こえる。この仮説は非常なめんどうさえいとわなければ多くの実例について一々調査した上で当否を確かめ得られるであろうと思われる。
それにしてもまだどうにも説明のできないと思われるのは、自分の場合における次の実例である。
梨《なし》の葉に病気がついて黄色い斑紋《はんもん》ができて、その黄色い部分から一面に毛のようなものが簇生《ぞくせい》することがある。子供の時分からあれを見るとぞうっと総毛立って寒けを催すと同時に両方の耳の下からあごへかけた部分の皮膚がしびれるように感ずるのであった。
それから少しきたない話ではあるが、昔|田舎《いなか》の家には普通に見られた三和土製《たたきせい》円筒形の小便壺《しょうべんつぼ》の内側の壁に尿の塩分が晶出して針状に密生しているのが見られたが、あれを見るときもやはり同様に軽い悪寒《おかん》と耳の周囲の皮膚のしびれを感ずるのであった。
梨《なし》の葉の病の場合はあるいは毛虫などとの類似から来る連想によるかもしれないが、後の針状結晶と毛虫とでは距離があまりに大き過ぎるようである。むしろありまきやうじや蚤《のみ》などのようなものが群集したところを連想するのかもしれない。そうしたものが自分の皮膚にとりついていると想像すればぞっとするのは当然かもしれない。
こんなふうに虫やそれに類したものに対する毛ぎらいはどうやら一応の説明がこじつけられそうな気がするが、人と人との間に感じる毛ぎらいやまたいわゆるなんとなく虫が好く好かないの現象はなかなかこんな生やさしいこじつけは許さないであろう。ただもし非常な空想をたくましくすることを許されるとすれば、自分はここにも何か遺伝学的、優生学的、生理学的な説明が試み得られそうな気がする。ただ気がするだけでまだ具体的な材料を収集することができない。
それはとにかく、年を取るに従っていろいろな毛ぎらいがだんだんにその強度を減じてくることは事実である。そうして同時に好きなものへの欲望も減少し、結局自分の中の「詩の世界」の色彩があせてくることもたしかである。
「毛ぎらい」と「詩」と「ホルモン」とは「三位一体」のようなものかもしれないのである。
[#地から3字上げ](昭和十年三月、中央公論)
十二 透明人間
映画「透明人間」というのが封切りされたときには題材が変わっているだけに相当な好奇的人気を呼んだようである。トリック映画としてもこれはともかくも珍しく新しいもので、われわれのような素人《しろうと》の観客には実際どうして撮《と》ったものか想像ができなかった。それだけにこのトリックは成効したものと思われた。
この映画を見ているうちに自分にはいろいろの瑣末《さまつ》な疑問がおこった。
第一には、この「透明人間」という訳語が原名の「インヴィジブル・マン」(不可視人間)に相当していないではないかという疑いであった。
「透明」と「不可視」とは物理学的にだいぶ意味がちがう。たとえば極上等のダイアモンドや水晶はほとんど透明である。しかし決して不可視ではない。それどころか、たとえ小粒でも適当な形に加工|彫琢《ちょうたく》したものは燦然《さんぜん》として遠くからでも「視《み》える」のである。これはこれらの物質がその周囲の空気と光学的密度を異にしているためにその境界面で光線を反射し屈折するからであって、たとえその物質中を通過する間に光のエネルギーが少しも吸収されず、すなわち完全に「透明」であっても立派に明白に顕著に「見える」ことには間違いなく、見えないわけにはどうしてもゆかないのである。
反対に不透明なものでもそれが他の不透明なものの中に包まれていれば外からは「不可視」である。
こう考えてみると「透明人間」という訳語が不適当なことだけは明白なようである。
そこで、次に起こった問題はほんとうに不可視な人間ができうるかどうかということであった。ウェルズの原作にはたしか「不可視」になるための物理的条件がだいたい正しく解説されていたように思う。すなわち、人間の肉も骨も血もいっさいの組成物質の屈折率をほぼ空気の屈折率と同一にすれば不可視になるというのである。びん入りの動物標本などで見受けるように、小動物の肉体に特殊な液体を滲透《しん
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