、わさびのきき過ぎたすしを食ったときにこぼす涙などは上記のものとは少し趣を異にするようである。それからまた、胃の洗滌《せんじょう》をすると言って長いゴム管を咽喉《のど》から無理に押し込まれたとき、鼻汁《はなじる》といっしょにたわいなくこぼれる涙に至っては真に沙汰《さた》の限りである。
 しかしこんな純生理的な涙でも、また悲しくて出る涙でも、あれが出ないと、何かしらひどくいけない悪効果がわれわれのからだの全機構のどこかに現われる恐れがある、それをあのように涙をこぼすことによって救助し緩和するような仕掛けになっているのではないかという疑いが起こる。言わば高圧釜《こうあつがま》の安全弁のように適当な瞬間に涙腺《るいせん》の分泌物を噴出して何かの危険を防止するのではないか、そうでないとどうも涙の科学的意義がのみ込めない。
 ある通俗な書物によると、甲状腺の活動が旺盛《おうせい》な時期には性的刺激に対する感度が高まると同時にあらゆる情緒的な刺激にも敏感になり、つまり泣きやすくもなるそうである。青春の男女のよく泣くのはそのためかと思われる。しかし非常に年を取ったばあさんなどがごちそうを食うときに鼻
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