語でも sinn というのは歯を意味しまた年齢をも意味する。「シ」と「シン」と音の似ているのも妙である。とにかく歯は各個人にとってはそれぞれ年齢をはかる一つの尺度にはなるが、この尺度は同じく年を計る他の尺度と恐ろしくちぐはぐである。自分の知っている老人で七十余歳になってもほとんど完全に自分の歯を保有している人があるかと思うと四十歳で思い切りよく口腔《こうこう》の中を丸裸にしている人もある。頭を使う人は歯が悪くなると言って弁解するのは後者であり、意志の強さが歯に現われるというのは前者である。
同じ歯の字が動詞になると「天下恥与之歯《てんかこれとともによわいするをはず》」におけるがごとく「肩をならべて仲間になる」という意味になる。歯がずらりと並んでいるようにならぶという譬喩《ひゆ》かと思われる。並んだ歯の一本がむしばみ腐蝕《ふしょく》しはじめるとだんだんに隣の歯へ腐蝕が伝播《でんぱ》して行くのを恐れるのであろう。しかし天下の歯がみんなむし歯になったらこんな言葉はもういらなくなる勘定であろう。
歯の役目は食物を咀嚼《そしゃく》し、敵にかみつき、パイプをくわえ、ラッパの口金をくちびるに押し
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