ばそれも必要かもしれない。しかし、いかなる個人でもその身辺にはいやでも時代の背景が控えている。それで一個人の身辺瑣事の記録には筆者の意識いかんにかかわらず必ず時代世相の反映がなければならない。また筆者の愚痴な感想の中にも不可避的にその時代の流行思想のにおいがただよっていなければならない。そういうわけであるから現代の読者にはあまりに平凡な尋常茶飯事《じんじょうさはんじ》でも、半世紀後の好事家《こうずか》には意外な掘り出し物の種を蔵しているかもしれない。明治時代の「風俗画報」がわれわれに無限の資料を与え感興をそそるのもそのためであろう。ただし、そういう役に立つためには記録の忠実さと感想の誠実さがなければならないであろう。
 これが私の平生こうした断片的随筆を書く場合のおもなる動機であり申し訳である。人にものを教えたり強《し》いたりする気ははじめからないつもりである。
 集中には科学知識を取り扱ったものも自然にしばしば出て来るかもしれない。しかしそれも決して科学知識の普及などということを目的として書くのではない。ただ自分でほんとうにおもしろいと感じたことの覚え書きか、さもなければ譬喩《ひゆ》
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