だすような一見不思議な現象がしばしば見らるるのではあるが、しかしとにかく泣くと笑うのでは何かしらはっきりした区別のあることは明白である。それならこの二つがその発生条件に関してどれだけちがうかということが問題になる。ほんとうのことは自分などにはわからないが、ただ現在での自分の素人考えによると、最初の緊張状態の質的の差別によって泣くと笑うとの分岐点が決定されるように思われる。
きわめて大ざっぱに考えてみると、当初の緊張が主として理知的でありあるいは道徳的である場合には笑いを招致しやすく、これに反して緊張が情緒的または本能的である場合に泣くほうに推移しやすいのではないかと思われる。
大山鳴動して一鼠《いっそ》が飛び出したといったようなときの笑いは理知的であり、校長先生の時ならぬくしゃめが生徒の間に呼び起こす笑いなどには道徳的の色彩がある。喜怒愛憎の高潮に伴なう涙は理知や道徳などとは関係の薄い情緒的のものであるが、哀別離苦の焦心の涙にはよほど本能的なものがあって、純粋な肉体の苦痛によるものとかなりまで相通ずるものがありそうに思われる。
いずれにしても、笑う前と泣く前とでは緊張のために特殊の活動を生ずる脳の部分が少しばかり位置を異にしているのではないかと思われるが、しかしその活動の化学的物理的性質はほぼ同種類のものらしく想像される。それで、その活動に次いで起こる生理的な表情も本質的にはかなりによく似た笑いと泣きの形式をとって現われるのではないか。
こんな空想がいろいろ起こし得られるが、しかし、笑っているときと泣いているときとで大脳皮質その他の中枢における化学成分やイオン濃度の変化などを実験する事は困難であろうし、さればと言って泣きも笑いもしないねこや犬で試験するわけにも行かない。
それはとにかく、自分が泣いているとき、また笑いこけているとき、少しばかり気をかえて泣くこと笑うことの生理的意義を考えてみるのも全くむだなことではないかもしれないと思うので、物好きな読者にまれにはそうした実験を試みることをすすめたいと思う。
[#地から3字上げ](昭和十年五月、中央公論)
底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年11月20日第1刷発行
1963(昭和38)年6月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年9月5日第65刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年3月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全25ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング