、わさびのきき過ぎたすしを食ったときにこぼす涙などは上記のものとは少し趣を異にするようである。それからまた、胃の洗滌《せんじょう》をすると言って長いゴム管を咽喉《のど》から無理に押し込まれたとき、鼻汁《はなじる》といっしょにたわいなくこぼれる涙に至っては真に沙汰《さた》の限りである。
しかしこんな純生理的な涙でも、また悲しくて出る涙でも、あれが出ないと、何かしらひどくいけない悪効果がわれわれのからだの全機構のどこかに現われる恐れがある、それをあのように涙をこぼすことによって救助し緩和するような仕掛けになっているのではないかという疑いが起こる。言わば高圧釜《こうあつがま》の安全弁のように適当な瞬間に涙腺《るいせん》の分泌物を噴出して何かの危険を防止するのではないか、そうでないとどうも涙の科学的意義がのみ込めない。
ある通俗な書物によると、甲状腺の活動が旺盛《おうせい》な時期には性的刺激に対する感度が高まると同時にあらゆる情緒的な刺激にも敏感になり、つまり泣きやすくもなるそうである。青春の男女のよく泣くのはそのためかと思われる。しかし非常に年を取ったばあさんなどがごちそうを食うときに鼻汁ばかりか涙まで流すのはあれはどういうのだかいささか神秘的である。
人間以外の動物で「泣く」のがあるかどうか。日本では馬が泣く話がある。ダーウィンは象その他若干の獣が泣くと主張したがその説は確認されてはいないそうである。ともかくも明白に正真正銘に「泣き」また「笑う」のはだいたいにおいて人間の特権であるらしいから、われわれはこの特権を最も有効に使用するように注意したいものである。しかしまたこれが人間の仕事のうちでいちばんむつかしいことのようにも思われる。
十八 「笑う」と「泣く」と
十余年前に「笑い」と題する随筆を書いたことがあって、その中で、緊張から弛緩《しかん》に移る際に発生する笑いの現象について若干の素人《しろうと》考えを述べたのであった。今度前項で「泣く」現象の発生条件としてやはり緊張から弛緩への過渡をあげたのであるから、これだけだと笑うも泣くも一つのもののように思われる。実際子供やヒステリックな婦人などの場合では、泣いているかと思うと笑っていて、どちらだかわからない場合が多いし、また正常なおとなでも歓楽きわまって哀情を生じたり、愁嘆の場合に存外つまらぬ事で笑い
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