なために不思議と思われるのであって、今にこの方面の知識が進めば、これが不思議でもなんでもなくなるかもしれないのである。そういう日になってはじめて「黒焼き」の意義がその本体を現わすのではないかと想像される。
 こんなことを長年考えていたのであるが、近ごろ大阪《おおさか》医科大学病理学教室の淡河《おうご》博士が「黒焼き」の効能に関する本格的な研究に着手し、ある黒焼きを家兎《いえうさぎ》に与えると血液の塩基度が増し諸機能が活発になるが、西洋流のいわゆる薬用炭にはそうした効果がないという結果を得たということが新聞で報ぜられた。自分の夢の実現される日が近づいたような喜びを感じないわけには行かない。
 それにしてもいもりの黒焼きの効果だけは当分のところ、物理学化学生理学の領域を超越した幽遠の外野に属する研究題目であろうと思われる。もっとも蝶《ちょう》のある種類たとえば Amauris psyttalea の雄などはその尾部に備えた小さな袋から一種特別な細かい粉を振り落としながら雌《めす》の頭上を飛び回って、その粉の魅力によって雌《めす》の興奮を誘発するそうである。
 百年の後を恐れる人には「いもりの黒焼き」でもうっかりは笑えないかもしれない。
[#地から3字上げ](昭和十年二月、中央公論)

     九 歯

 父は四十余歳ですでに総入れ歯をしたそうである。総入れ歯の準備として、生き残った若干の歯を一度に抜いてしまったそのあとで顔じゅうふくれ上がって幾日も呻吟《しんぎん》をつづけたのだそうである。歯科医術のまだ幼稚な明治十年代のことであるからずいぶん乱暴な荒療治であったことと想像される。
 自分も、親譲りというのか、子供の時分から歯性が悪くてむし歯の痛みに苦しめられつづけて来た。十歳ぐらいのころ初めて歯医者の手術椅子《しゅじゅついす》一名拷問椅子(torture−chair)にのせられたとき、痛くないという約束のが飛び上がるほど痛くて、おまけにそのあとの痛みが手術前の痛みに数倍して持続したので、子供心にひどく腹が立って母にくってかかり、そうしてその歯医者の漆黒な頬髯《ほおひげ》に限りなき憎悪《ぞうお》を投げつけたことを記憶している。コカイン注射などは知られない時代であったのである。おかしいことには、その時の手術室の壁間に掲げてあった油絵の額が実にはっきり印象に残っている。当時
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