前項「灸治」について高松《たかまつ》高等商業学校の大泉行雄《おおいずみゆきお》氏から書信で、九州|福岡《ふくおか》の原志兔太郎《はらしずたろう》氏が灸の研究により学位を得られたと思うという知らせを受けた。右の原氏著「お灸《きゅう》療治」という小冊子に灸治の学理が通俗的に説明されているそうである。一見したいと思っているがまだその機会を得ない。その後にまた麻布《あざぶ》の伊藤泰丸《いとうやすまる》氏から手紙をよこされて、前記原氏のほかに後藤道雄《ごとうみちお》、青地正皓《あおじまさひろ》、相原千里《あいはらせんり》等の各医学博士の鍼灸《しんきゅう》に関する研究のある事を示教され、なお中川清三《なかがわせいぞう》著「お灸の常識」という書物を寄贈された、ここに追記して大泉氏ならびに伊藤氏に感謝の意を表したいと思う。
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     八 黒焼き

 学生時代に東京へ出て来て物珍しい気持ちで町を歩いているうちに偶然出くわして特別な興味を感じたものの一つは眼鏡橋《めがねばし》すなわち今の万世橋《まんせいばし》から上野《うえの》のほうへ向かって行く途中の左側に二軒、辻《つじ》を隔てて相対している黒焼き屋であった。これは江戸名所図会にも載っている、あれの直接の後裔《こうえい》であるかどうかは知らないがともかくも昔の江戸の姿をしのばせる格好の目標であった。
 なんでも片方が「本家」で片方が「元祖」だとか言って長い年月を鬩《せめ》ぎ合った歴史もあったという話を聞いたことがある。関東大震災にはたぶんあのへんも焼けたであろうが、つい先日電車であのへんを通るときに気をつけて見ると昔と同じ場所と思わるる所に二軒の黒焼き屋が依然として存在している。一軒は昔ふうの建築であり他の一軒は近代的洋風の店構えになっているのであるが、ともかくも付近に対して著しく異彩を放つ黒焼き屋であることには昔も変わりはないようである。
 いったい黒焼きがほんとうに病気にきくだろうかという疑問が科学の学徒の間で問題に上ることがある。そういう場合に、科学者にいろいろの種類があることがよくわかる。
 甲種の科学者は頭から黒焼きなんかきくものかと否定してかかる。蛇《へび》でもいもりでも焼いてしまえば結局炭と若干の灰分とになってしまうのだから、黒焼きがきくものなら消し炭を食ってもきくわけだ、とざっとこういうふ
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