りミクロスコピックの眼にて見れば、これらの量にては物体の内部状況は単義的には指定されずほとんど無限に複義的にして、吾人の知り得るは実にただその統計的単義性に外ならず。この場合に単に温度を与えても各分子箇々の運動を予報すべくもあらず。
 例えばまた過飽和の状態にある溶液より結晶が析出する場合のごとき、これがいつ結晶を始め、また結晶の心核が如何に分布さるべきかを精密に予報せんとする時、単に温度従って過飽和度を知るのみにては的中の見込は極めて小なるべし。ただ吾人は過飽和度の増加に伴うて結晶析出を期待する公算を増す事を知り、また結晶中心の数につきても公算的にある期待をなす事を得るに過ぎず。しかるにもし人間以上の官能を有するいわゆるマクスウェルの魔のごときものありて、分子一つ一つの排置運動を認めその運動や結合の方則を知りて計算するを得ば、少なくも吾人が日蝕を予報するくらいの確かさをもってこれらの現象を予報するを得べし。

         三

 今天然の起る現象を予報せんとする際に感ずる第一の困難は、その現象を限定すべき条件の複雑多様なる事なり。
 実験室において行う簡単なる実験においてはこれら条件を人為的に支配し制限し得る便あり。しかも最も簡単なるデモンストレーション的実験においてすら、用意の周到ならざるため、条件のただ一つを看過すれば実験の結果は全く予期に反する事あるは吾人の往々経験する所なり。これらの失敗に際して実験者当人は、必要条件を具備すれば、結果は予期に合すべきを信ずるが故にあえて惑う事なしとするも、いまだ科学的の思弁に慣れず原因条件の分析を知らざる一般観者は不満を禁ずる能《あた》わざるべし。また場合により実験の結果が半ばあるいは部分的に予期に合すれば、実験者たる学者はその適合せる部分だけを抽出して自己の所説を確かむれども、かくのごとき抽象的分析に慣らされざる世俗は了解に苦しむ事もあるべし。
 かくのごとき困難は天然現象の場合に最も著しかるべし。試みに先ず天気予報の場合を考えん。
 太古の時代より天気予報の試みは行われたれども、分析的科学の発達せざりし時代には、天気を限定すと考えられし条件、あるいは独立変数が極めて乱雑なる非科学的のものなりしなり。尤《もっと》も雲の形状運動や、風向、気温のごとき今日のいわゆる気象要素と名づくるものの表示に拠りたる事もあれど、同時
前へ 次へ
全12ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング