性は問題となる。
抽象的、数学的に考うれば複義性なる函数は無数に存在す。例えばファン・デル・ワール等の理論に従えば、ガス体の圧を与うればその体積には三種の可能価ある事となる。この理論の当否は問わざるも、抽象的にこの事は可能なるべし。今かくのごとき場合にも天然現象は必ず単義的に起るとすれば、それは如何なる理由によるべきか。ここに「安定度」とか「公算」とかいう言葉が科学者の脳裡に浮ぶべし。ここに吾人は科学と形而上学との間の際《きわ》どき境界線に逢着すべし。熱力学にエントロピーの観念の導入され、またエントロピーと公算との結合を見るに至りし消息もまたここに至って自ずから首肯さるべし。
安定や公算の意味に関する議論はしばらく措《お》き、種々の可能法ある場合におのおのの公算を比較する時、吾人の経験はその中の一つが特に大なるべしと期待せしむる傾向を有す。実際多くの場合にこの期待は吾人を欺かず。しかれども予報という事に聯関して重大なる問題はそれが「常に然《しか》るか」という事なり。
単義性という言葉にも種々の意味あり。数学的絶対的の単義性といえば、一はどこまでも一にて二は必ず二なるべし。しかし自然現象に偶然を許容すれば吾人の当面の問題は公算的単義性なり。すなわち公算曲線の山が唯一なりやという事が刻下の問題なり。さてすべての場合にこれは唯一なりや。然らざる場合は一般には多数あるべし。例えば馬の鞍《くら》の形をなせる曲面の背筋の中点より球を転下すれば、球の経路には二条の最大公算を有するものあるべし。またある時間内に降れる雨滴の大きさを験する時は、その大きさの公算曲線には数箇の山を見出すべし。これらの場合を総括するに、いずれもかつてポアンカレーの述べしごとく「原因の微分的変化が結果の有限変化を生ずる場合」に当るを見る。自然現象予報の可能程度を論ずる際に忘るべからざる標準の一つはここに係る。後に更に実地問題につきて述ぶる事とせん。
次に原因を定むる独立変数と称するものの性質が問題となる。変数が長さ、時間、あるいはこれらの合成によりて得らるるものならば比較的簡単なれでも、例えば物体の温度、荷電等のごとき性質のものが与えられたりとせよ。もし物体の内部構造等に立ち入らざるマクロスコピックの見方よりすれば、これらの量は直ちに物体の状態を単義的に指定すれども、これに反し分子説、電子説の立場よ
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