自然界の縞模様
寺田寅彦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)縞模様《しまもよう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)理学士|福島浩《ふくしまひろし》君
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)田口※[#「さんずい+卯」、第4水準2−78−35]三郎
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ここでかりに「縞模様《しまもよう》」と名づけたのは、空間的にある週期性をもって排列された肉眼に可視的な物質的形象を引っくるめた意味での periodic pattern の義である。こういう意味ではいわゆる定常波もこの中に含まれてもいいわけであるが、この動的なそうしてすでによく知られて研究し尽くされた波形はしばらく別物として取り除いて、ここではそれ以外の natural, statically(1)[#「(1)」は注釈番号] periodic patterns とでも名づくべきものを広くいろいろな方面にわたって列挙してみたいと思う。これらの現象の多くのものは、現在の物理的科学の領域では、その中でのきわめて辺鄙《へんぴ》な片田舎《かたいなか》の一隅《いちぐう》に押しやられて、ほとんど顧みる人もないような種類のものであるが、それだけにまた、将来どうして重要な研究題目とならないとも限らないという可能性を伏蔵しているものである。今までに顧みられなかったわけは、単に、今までの古典的精密科学の方法を適用するのに都合がよくないため、平たく言えばちょっと歯が立たないために、やっかいなものとして敬遠され片すみに捨てられてあったもののように見受けられる。しかし、もしもこれらの問題をかみこなすに適当な「歯」すなわち「方法」が見いだされた暁には、形勢は一変してこれらの「骨董的《こっとうてき》」な諸現象が新生命を吹き込まれて学界の中心問題として檜舞台《ひのきぶたい》に押し出されないとも限らない。そういう例は従来でも決して珍しくはなかった。たとえばブラウン運動でも、表面膜の「よごれ」の問題でもそうである。ましてや、古典的物理学の基礎をなしていた決定的因果律に根本的な修正が問題になり、統計物理学の領域にも全く新しい進出の曙光《しょこう》が見られる今日において、特にここで問題とするような諸現象を列挙して読者の注意を促すのも決して無益のわざではあるまいと思われるのである。
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(1) 後に述べるリーゼガングの輪でもその他のものでも、その生成は時間的にも週期的であるが、しかしここで statical と言うのは、できあがった最後の形が静的だという意味である。
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昔、自分らの学生時代に、確率論の講義を聞かされたときに「理由欠乏の原理」と「理由具足の原理」との話があったことを思い出す。この前者によれば、たとえば生長するすべてのものは円か球になるはずである。どの方向に特に延びるという理由が「ない」というよりはむしろ、そういう理由を「知らない」ためである。しかし、自然は人間の知らないいろいろな理由を知っており、持ち合わせているために、世界の万物はことごとく円や球や均質平等であることから救われるのである。二十余年の昔、いろいろこういう種類のことを考えていたころに、何よりもまずわが国に特有で子供の時からなじみの深い「金米糖《こんぺいとう》」というものの形が自分の興味を引いた。どうしてあのように角《つの》ができるか、どうして角の数が統計的に一定になるか、この疑問を年来いだいて今日に至る間に、おりにふれてはこれによく似たいろいろの問題が次第に蓄積して来た。しかし、問題が増すだけで解釈のほうは遺憾ながら、いくらも進まないが、ただ、これら類似の問題の中には、いくらか解釈の見当のつきかけたものもある。それらの問題を系統的に分類でもすればいいわけであるが、まだそこまでの整理ができていないから、ここではただ将来の参考のための備忘録だと思って、以下に思いつくままを無秩序に書き並べるに過ぎない。読者もどうかそのつもりで読んでもらいたい。
金米糖《こんぺいとう》の場合については理学士|福島浩《ふくしまひろし》君がまだ学生時代の夏休みに理化学研究所へ来ていろいろ実験した結果が発表されている。ある条件のもとには、偶然的にでき始めた凸凹《とつおう》が次第に成長し、その角《つの》の長さと粒の大きさとには一定の関係がある事、その大きさにある上下の限界のある事などがだいぶわかって来たが、角の数を決定する根本原理についてはまだ充分な解釈を下すに至らなかった。しかしこの物の形の基礎には立体的正多面体の基本定型が伏在していて、条件によってその中の格好なものが成長の萌芽《ほうが》となるであろうという想像がついたようである。この点ではやはり、物理界におけるいろいろな週期的不安定の現象、たとえば弾性板の週期的|反転《バクリング》の現象などとの類似を思わせる。
金米糖といくぶん似たものは、「噴泉塔」と称せられるものである。温泉の噴出する口の周囲に、水に溶けた物質が析出沈積して曲線的|円錐体《えんすいたい》を作る。そうして、その表面に実にみごとな放射状ならびに円心状に週期的な凸凹を作ることがある。この場合にこれらの週期性を決定するものが何であるかと考えてみる際に、いちばん手近なものとして気のつくのは、液の熱的対流によって生ずる週期的円筒形|渦流《かりゅう》である。ともかくもこの場合に著しい対流の起こることは確実であるので、それがそういう場合に普通な柱状渦《ちゅうじょうか》を成して、その結果温度の週期的排列を生じ、従って沈積も空間的に週期的になる。そうして、ある大きさの週期のものが最も安定であって、それに因る沈積の結果から生ずる凹凸《おうとつ》が、ちょうどその渦流に好都合なような器械的条件に相応すれば、この凹凸は自然に規則正しく発育成長するのが当然である。
これは少し脱線であるが、珊瑚礁《さんごしょう》を作るような珊瑚のうちに、上記の噴泉塔とも類似し、またシャボテンのうちに瓜《うり》のような格好で、縦に深く襞《ひだ》のはいったのがある、あれともいくらか似た形のものがある。ある時そういう珊瑚《さんご》の標本の写真を見ていたときに、これも何かやはり対流による柱状渦《ちゅうじょうか》と関係があるのではないかという空想が起こった。こういう生物群体の表面に沿うて何かの原因で温度あるいは濃度差による対流の起こることは可能であり、それがあるとすればその対流の結果は生物の成長に必然的に反応するであろうと思われる。とにかく、天然がただものずきや道楽であのような週期的な構造を製作するとは思われないので何かそこに物理的な条件が伏在するであろうと想像するのはやむを得ない次第である。しかしこれはそう思ったというだけのことでなんら具体的の事実を調べたわけではない。
丸皿形《まるざらがた》のボルタメーターで、皿の内面に沈着する銀がやはりこの「シャボテン式」の放射線状の縞《しま》を成すは周知のことで、この場合は、濃度差による対流渦《たいりゅうか》の結果であることは疑いもないことであろう。
対流渦による波状雲のことは今さら述べるまでもないが、これに類似の縞は、近ごろ「墨流し」の実験をしているときに、最初表面に浮かんだ墨汁《ぼくじゅう》の層が、時がたつに従って下層の水中に沈む場合にもかなりきれいに発達するのを見ることができた。
もう一つ対流渦による週期的現象で珍しいのは「構造土」と名づけられるもので、たとえば乗鞍岳《のりくらだけ》頂上の鶴《つる》が池《いけ》、亀《かめ》が池《いけ》のほとりにできる、土砂と岩礫《がんれき》による亀甲模様《きっこうもよう》や縞模様である(1)[#「(1)」は注釈番号]。これは従来からも対流渦によるものとはされていたが、実際の生成機巧についてはいろいろ想像説があるに過ぎなかった。近ごろ理学士|藤野米吉《ふじのよねきち》君が、液の代わりに製菓用のさらし餡《あん》を水で練ったものの層に熱対流を起こさせる実験を進めた結果、よほどまで、上記自然現象の機巧の説明に関する具体的な資料を得たようである。またこれによって乳房状積雲《ちぶさじょうせきうん》とはなはだしく似た形態も模倣することができた。
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(1) これについてはかつて藤原《ふじわら》博士が地理学評論誌上で論ぜられた事がある。
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以上のものとは少し違った部類のものであるが、氷柱や鐘乳石《しょうにゅうせき》が簡単な円錐形《えんすいけい》または紡錘形となる代わりに、どうかすると、表面に週期的の皺《しわ》を生じ、その縦断面の輪郭が波形となることがある。この原因についてもあまりよく知る人がないようである。この場合にもやはり表面を流下する液体の運動にある週期性があって、それがまた同時に氷結と融解、あるいは析出と沈着との週期性を支配するものである、とまでは想像しても悪くないであろう。しかしこの場合にも熱的対流が関係するか、それとも、単に流水層の渦層《かそう》の器械的不安定によるものであるかは、今後の詳細な実験的研究によってのみ決定さるべきであろう。
次に思い及ぶものは、だれもが昔からよく問題にする、水の波や流れやまたは風による砂泥《さでい》の波形である。これは、地面に近く、水平流速の垂直分布に急な変化があるために存する渦動層が、不安定のために個々の渦柱に分裂する結果であろうとまではわかっているが、この波形の波長を何が決定するかという肝心な問題は、今日でもほとんど昔のままに残されているようである。この現象は単に上を流れる流体のみならず、地盤となる砂や泥《どろ》の形質にもよるらしいから、問題は決してそう簡単でないであろう。
これと密接な関係のあるものは、クントの塵像《じんぞう》である。これに関する周知のケーニヒの説明の不十分なことはだれしも同感であったらしい。最近に、アンドラーデがこの問題についてやや新しい実験をして、いろいろおもしろい事実を観察したようではあるが、ここでも肝心な波長決定要素の問題は依然として不可解に残されている。
もう一つ、これは未発表のものであるが、北海道大学理学部の米田勝彦《よねだかつひこ》氏が現に研究を続けている「粉の波」の現象がある。たとえば、二枚のガラス板の間に或《あ》る粉の円形薄層をはさんで、上の板を棒の先で軽くこつこつとたたくと粉の表面にきれいな同心環形状の波形ができるのである。この波がクント像の波形と何かしら関係がある現象であろうとはだれしも想像することであろうが、精確な説明はそう容易には与えられない。
クラドニ板上のいろいろの像や、高周波振動をする水晶板で生ずる粉の像などにもやはり共通な問題が潜んでいるらしい。
要するにこれらの問題の基礎には「粉」という特殊な物の特性に関する知識が重大な与件として要求されるにもかかわらず、それがほとんど全く欠乏している。そうしてただ現象の片側に過ぎない流体だけの運動をいくら論じてみても完全な解釈がつきそうにも思われない。粉状物質の堆積《たいせき》は、ガスでも、液でも、弾性体でもない別種のものであって、これに対して「粉体力学」があるはずである。近ごろ、土壌《どじょう》の力学に関連してだいぶこの方面が理論的にも実験的にも発達して来たようではあるが、それはしかしほとんど皆静力学的のものであって、「粉体の運動」に関する研究は皆無と言っても過言でない。この新しい力学の領域に進入する一つの端緒としても上記のごとき諸現象の研究は独自な重要意義をもつであろう。いずれにしても、そういう見地に立ってでなければいくら研究してみてもこれらの問題の全豹《ぜんぴょう》は明らかになりそうに思われない。
粉の輪で思い出すのは、蒸発皿《じょうはつざら》である種の塩類の溶液を煮詰めて蒸発させる時
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