はなりうると思うからついでに付記する。
 リヒテンベルグの陽像はかなり不規則であるが、これもいくぶんの放射形週期性をもっている。これに類した他方面の現象としては清潔なガラス板の水平な面上に薄く清潔な水の層を作っておいて、そうして墨を含ませた筆の先をちょっとそのガラス面の一点に触れると水の薄層はたちまち四方に押しのけられて、墨汁《ぼくじゅう》が一見かわき上がったようなガラスの面を不規則な放射形をなして分岐しながら広がって行く。その広がり方の型式がリヒテンベルグ陽像に類似の点をもっている。この場合は明らかに墨のコロイド粒子群が内から外へ進行する際にその進行速度にはなはだしい異同ができ、その異同が助長されるのであろうが、この事実の形式的類推から放電陽像の場合にも、何物か粗粒的なものが内から外のほうへ広がるのではないかという想像を誘われる。また一方で前記の放射状|対流渦《たいりゅうか》の立派に現われる場合は、いずれも求心的流動の場合であるから、放電陰像の場合もあるいは求心的な物質の流れがあるのではないかと想像させる。水流の場合には一般に流線の広がる時に擾乱《じょうらん》が起こるが流線が集約する時にはそれが整斉《せいせい》される、あれと似たことがありはしないかとも考えられる。これらもすべて大胆すぎた想像であるが一つの暗示として付記する。
 リヒテンベルグの場合に放電板の裏側にできる第二次像の同心環が米田《よねだ》氏の現象に類するのは注意すべき事である。
 近来|筒井俊正《つついとしまさ》君が研究している一種の特殊な拡進現象にもまたリヒテンベルグ陽像などといくぶん似た部類に属するものがある。それは二枚の平面板の間に粘性あるいは糊状《のりじょう》の液体を薄層としてはさんでおいて、急にその二枚の板を引き離すときにできるきれいな模様の中のあるものである。この模様の分岐のしかたにも一種の週期性がある。しかしこの場合においてもこの週期性の決定要素はなかなか簡単には説明されないものらしく思われる。
 池の表面の氷結した上に適度の降雪があった時に、その面に亀甲形《きっこうがた》の模様ができる、これには、一方では弾性的不安定の問題、また対流の問題なども含まれているようであるが、この亀甲《きっこう》模様の亀甲形の中心にできる小さな穴から四方に放射して、「ひとで」形の模様ができる。これの説明もまだ確実なことはわからないようであるが、自分の観察の結果から判断できる範囲内では、ともかくもこの中央の穴から流れ出しまた流れ帰る水の流路を示すものらしく思われる。そうだとすると、これも上記現象のあるものと同部類に属すると考えられる。これは雪の代わりに他の可溶塩類を使った実験ができる見込みである。
 唐紙《からかみ》などに水がついたあとにできる「しみ」が、どうかすると不規則な花形模様に広がることがある。また「もぐさ」を平たく板の上にはりつけておいて、その一点に点火すると、炎を上げない火が徐々に燃え広がる。その燃えて行く前面の形が不規則な花形である。これらの場合にはいずれも通有な一種の原理のようなものがあると思われる。
「理由欠乏の原理」あるいは「無知の原理」からすれば、これらの伝播《でんぱ》の前面は完全なる円形をなすはずであるが、実際の現象を注意して見ていると、円形になるほうがむしろ不思議なようにも思われて来る。たとえばアルコホルの沿面燃焼などはほとんど完全な円形な前面をもって進行するが、こういう場合は自然的変異を打ち消すような好都合の機巧が別に存在参加しているという特別の場合であるとも考えられる。すなわち、前面が凸出《とっしゅつ》する点の速度が減じ、凹入《おうにゅう》した点の速度が増し、かくして自動的に調節が行なわれ、その結果として始めて円形が保たれるものと思われる。これに反して偶然変異がそのままに保存され蓄積し増長する多くの場合には不規則な花形、「ひとで」形等になる。このほうが普通だとも考えられる。そうして、ある週期のものだけが特に助長されるような条件が加われば規則正しい放射像となるというふうに考えられる。こう考えると、不規則な放射形の場合でも、それはいろいろの週期のものがたくさんに合成された結果と見なすことができるし、その多くの「週期のスペクトラ」のエネルギー分布の統計的形式によって、いろいろな不規律放射像の不規則さの様式特性が定まると考えられる、言わば規則正しい像は単線スペクトルに当たり、不規則なのは一種の連続スペクトルあるいは帯状スペクトルに当たるのである。こう考えると、形が不規則だとか、reproducible でないからとか言って不規則な放射像を物理学の圏外に追いやる必要はないであろう。光の場合の不規則は人間の感官認識能力の低度なおかげで「見えない」から平気であるが、現在の場合は「見える」からかえって困るのである。盲者の幸福がここにもある。
 とにかくこういうふうに考えれば、完全週期的な縞《しま》と不規則な縞とをひとまとめに論ずる事がそれほど乱暴でないということだけは首肯されるであろう。
 以上のほかにも天然の縞模様の例はたくさんあるであろう。放電についても放電管内の陽極の縞や、陽極の光った斑点《はんてん》の週期的紋形なども最も興味あるものであり、よく知られてもおりながら、ここでもやはり週期決定因子の研究が奇妙にも等閑に付せられているのである。
 また、粘土などを水に混じた微粒のサスペンションが容器の中で水平な縞状《しまじょう》の層を作る不思議な現象がある。普通の理論からすれば、ダルトン方則で、単に普通の指数曲線的垂直分布を示すはずのが、事実はこれに反して画然たる数個の段階に分かれるのである。仮定の抜けている理論の無価値なことを示す適例である。この場合の機巧もまだ全く闇《やみ》の中にある。ことによると、これは electrocapillary phenomena を考えに入れて始めて明らかにさるべき現象かと想像される。でなければコロイドに関する物理にはまだまだ未開の領土が多い事を指示するものであろう。
 このほかにもまだいろいろあるであろうがあまりに予定の紙数を超過するからまずこのへんで筆をおく事とする。このはなはだ杜撰《ずざん》な空想的色彩の濃厚な漫筆が読者の中の元気で自由で有為な若い自然研究者になんらかの新題目を示唆することができれば大幸である。ただ記述があまりに簡略に過ぎてわかりにくい点が多いことと思われるが、そういう点についてはどうか聡明《そうめい》なる読者の推読をわずらわしたい。
[#地から3字上げ](昭和八年二月、科学)



底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
   1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年6月13日第65刷発行
※底本の誤記等を確認するにあたり、「寺田寅彦全集」(岩波書店)を参照しました。
※底本では、注釈番号は、本文の右脇にルビのように組まれている。
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2000年10月3日公開
2003年10月30日修正
青空文庫作成ファイル:
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