ろ自分の高等小学校時代に教わったきりで会わなかった先生がたの写真を見た時にちょっとそれと気がつかなかった。写真の顔があまり若すぎて子供のような気がしたからである。よくよく見ているとありありと三十年前の記憶が呼び返された。これから考えるとわれわれの頭の中にある他人の顔は自分といっしょに、しかもちゃんときまった年齢の間隔を保存しつつだんだん年をとるのではあるまいか。
同じ自分が同じ自分の顔をかくつもりでやっていると、その時々でこのようにいろいろな顔ができる、これはつまり写生が拙なためには相違ないがともかくもおもしろい事だと思った。No.[#「No.」は縦中横]1にもNo.[#「No.」は縦中横]2にもどこか自分に似たところがあるはずであるが、1と2を並べて比較してみると、どうしても別人のように見える。そうしてみると1と2がそれぞれ自分に似ているのは、顔の相似を決定すべき主要な本質的の点で似ているのでなくて第二義以下の枝葉の点で似ているに過ぎないだろうと思われる。
これについて思い出す不思議な事実がある。ある時電車で子供を一人連れた夫婦の向かい側に座を占めて無心にその二人の顔をながめてい
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