言った。このような特殊な場合だけ考えると、実際世間で純粋な芸術が人倫に廃頽的《はいたいてき》効果を与えるといって攻撃する人たちのいう事も無理でないと思われて来る。しかしそういう不倫な芸術家の与える芸術その物は必ずしも効果の悪いものばかりとは思われない。つまり、こういう芸術家やこれとよく似た科学者らは、極端なイーゴイストであるがために結果においてはかえって多数のために自分を犠牲にする事になる場合もあるだろう。そういう時にいつでも結局いちばん得をするのは、こういう犠牲者の死屍《しし》にむちうつパリサイあたりの学者と僧侶《そうりょ》たちかもしれない。こんな事を考えているうちに、それなら金もうけに熱中して義理を欠く人はどうかという問題にぶつかって少しむつかしくなって来た。
 毎日同じ顔をいじり回しているうちに時々は要領にうまくぶつかる事もあった。なんだか違っているには相違ないが、どう違っているかわからないで困っていたような所が、何かの拍子にうまく直って来る時には妙な心持ちがした。楽器の弦の調子を合わせて行ってぴったりと合ったような、あるいははまりにくい器械のねじがやっとはまった時のような、なん
前へ 次へ
全37ページ中31ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング